2012年12月27日木曜日

真冬日よりも



ニュースの天気予報の人は最近いつも、
「明日は、例年の1月下旬の真冬日よりも寒くなるでしょう」
「出来る限りの厚着をしてお出かけ下さい」
「明日の朝は寒いです、心して起きてくださいね」
等のことばを言っています。いつも。いつも。
一体どこまで寒くなるのでしょう?真冬日よりも寒い日々。

でも、冬至が終わったので、これから春に向かうと考えるとちょっと嬉しいです。
心あたたかく過ごしましょう。今年もあと残りわずか。


2012年12月10日月曜日

びっくりして、風邪。だからはちみつ。



どかんと急に寒くなったことに体がびっくりして、思わず風邪をひいてしまいました。
生姜とはちみつを煮た飲み物を飲み、みかんを食べ、おとなしくしています。
風邪をひいた人っぽく、おとなしく。

ありがたいことに今まであまり風邪をひかずに生きてきたので、
(インフルエンザにも一度もかかったことがない)
大きい声では言えませんが「風邪っぽい」ことがちょっと新鮮で、
「風邪をひいた人っぽく」いることが、実はなんだか少し楽しかったりします。
不謹慎なことは承知の上ですけれど。

でも、鼻水は出るし、喉もいがいがするしであまり快適な状態ではないので
(そりゃそうですよね、風邪ですもの)とりあえず早く治るように、あたたかくして
今日はもう布団に入ることにします。おやすみなさい。

2012年11月16日金曜日

バスと、電車と地下鉄と。


バスや電車に乗るのが好きです。周りの風景を見られる乗り物が好きです。
だから地下鉄は苦手です。暗いし、何も見えないし、息が詰まる感じがするし。
地底に降りて行く感じも、今地震が起こったら・・・と思わず考えてしまうところも。

それでも、ウズベキスタンの首都タシケントの地下鉄は別です。
社会主義の時代にソ連によって作られた地下鉄、駅によってそれぞれ雰囲気が違って、
豪華な照明があったり、絵があったり、彫刻があったりタイル細工があったり。
その時代の建築家と芸術家が関わって地下鉄を作ったそうです。
とにかく凄いのです。日本の無機質な地下鉄に慣れていたから余計に。

私の友人の中には、タシケントの地下鉄があまりに素晴らしいので、全ての駅で降りて
観察した、という子がいますが、そんな気持ちも分かるほどの地下鉄でした。
(彼女はよっぽど暇を持て余していたのかもしれないのですけれど)
写真が一切禁止なので全く撮れなかったのですけれど。
だからこそ、これを覚えておこう、とじーっと真剣に見てきました。

ウズベキスタンで見るものは?と聞かれたら、私は迷わずにサマルカンドのモスクと
タシケントの地下鉄を挙げます。

2012年11月13日火曜日

4月のある晴れた朝に

今日は完全なるひとりごと。


好きな本はたくさんあって、好きな作家もたくさんいます。
出会ってしまった!という衝撃だった本もあれば、しみじみ好きな本もあります。
自分の本棚の中の本は手放したくない本ばかりです。
同じ本の趣味を持つ人を私は無条件に信頼してしまいます。
(そんなんで人を信じたらあかんで、と信頼している人に言われたけれど。)
どんな本を読むかでその人がなんとなく分かる気がするし、だからこそ
本棚を見せるなんて自分の内面を出しているようで恥ずかしい気も少しします。

それでも、本の話をすることが好きです。
よく、村上春樹の本では何が好きか、という話になりますが、
(よくこの話になります、よね?私は今までに何度かこの話題になったことがあります。)
今日は誰に質問された訳でもないけれど勝手に言うことにします。

私は、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」という短編が好きです。
長いタイトルでしょう。でも短いお話です。
ただ、4月のある晴れた朝に、100パーセントの女の子とすれちがう、というそれだけの、それにまつわる静かな短篇。
不思議にとても好きなのです。理由は説明できないけれど。
これは凄いのを読んでしまった、と思った小説も他にあるけれど。

ちなみに、『カンガルー日和』という短編集の中に入っています。
(『象の消滅』という選集にも入っていた気がします。この本も好きでした。
私がインドを旅していたとき、偶然この本の単行本を持っていた旅行者に2人会いました。
その2人とも短期旅行者でしたが、それにしてもバックパックに単行本!)


本はいいなぁ、と思います。
物語があることが。


2012年11月7日水曜日

on the road, Uzbekistan


今日は、ウズベキスタンの道端で見つけたものを並べてみることとします。


中東でもよく見かけたこのゲーム、ウズベキスタンでもあちこちで見かけました。
バックギャモンというこのゲームはルールも単純でおもしろくて、私も以前教えてもらって何度かやったけれど、ちっとも強くならず。
このゲームのボードを買ってこようかと本気で本気で思ったけれど、果たして誰が日本で私と対戦してくれるのだろう?と思って。日本に住む友人たちはみんな忙しそうで。


暑かった、暑かった、死にそうに暑かったところです。
日本もとてつもなく暑かったから、湿気も少ないだろうしまぁ大丈夫だろう、と思っていたら予想以上に暑くて。くらくらする暑さでした。40度を超えた日々。
ここで久々に風邪を引きました。ドミトリーで寝た夜、エアコンが付けっぱなし(!)で。


ふらふらくらくらしながらも、歩き回るのが楽しかったウズベキスタンです。

2012年10月28日日曜日

秋の夜長に


秋まっただ中。
読書、編み物、お出かけ。お手紙。
食べ物はおいしいし、おもてはすがすがしいし、葉っぱはどんどん色づくし。



先日、桂離宮に行ってきました。
ここは学生のときからずっと行きたかったところで、でもなかなか行けず
(予約が必要で、ネットからも予約できるけれどほとんどずっと満席状態)、
今回、やっと。
(京都御所の事務局で予約ができます。私はキャンセルで1人分空いていたところに入れてもらいました。)



すばらしいです。(すばらしさの分かる写真ではありませんが・・・)
贅を尽くした、という感じ。
こんなに贅沢な空間が作られたというそのことに、ただ溜め息。



これからしばらくは、お手紙をたくさん書こうと思います。
落ち着いて、しんとした中でものごとを考える時間をもっとしっかり持とうと思います。

2012年10月25日木曜日

食べ物の記録

本日は、ウズベキスタンで食べたものの記録。



こちらは、ブハラの市場の食堂。
なんとなんと、生ビール屋を見つけてしまったのです。
イスラムの国で。白昼堂々、生ビール。(ビール屋、とても賑わっていた)

この日は体調を崩していて風邪薬を飲んでいたけれど、ビールの誘惑に耐えきれず(だってものすごく暑かった、40度は越えていたと思う)、お昼に飲んだらくらくらして、ふらふらしながら宿に帰り、そのままばたんと眠ってしまいました。
風邪薬を飲んだ日にビールを飲んではいけないらしい、ということがなんとなく分かった一日。
私のお小遣い帳によると、プロフ(ピラフみたいなごはん)とサラダで4200ソム(約150円)、ビール1200ソム(約40円)。

ウズベキスタンはイスラム教の国だけれどそんなに厳しいところではなく、
ラマダン中も食事をとる人をちらほら頻繁に見かけたし、お酒は簡単に手に入るし、
肌を出す服装の女性もたくさんいたし。
私もイスラム服(?)と頭に巻くスカーフを持って行ったけれど、ほとんど使うことなく。








ラグマン、という食べ物の噂はずっと昔から聞いていました。
ラグマンはうまい、とか、とりあえずラグマン、とかそんな話。
何と言っても、「ラグマン」(もしくは「ラグメン」)という名前が強烈で、どんな食べ物なんだろう、一度お目にかかりたいとずっと思っていました。
その念願のラグマンは中央アジアどこにでもありました。
一言で言うと、「トマト羊うどん」です。
あなどるなかれ、おいしいのですよ。麺は大体どこも手打ち麺。
出会ったひとと、ラグマン屋を日本で開くのはどうか、と真面目に話し合ったほど日本人に馴染む味だと思うし、困った時はラグマンを食べていました。
困ったときのお助けごはん、ラグマン。サンキューラグマン。



そして、クッキー。
私が旅した中で、ウズベキスタンは「クッキーのかわいい国ナンバーワン」です。
(ちなみに、ビスケットのレベルが高い国ナンバーワンはインドだと思ってます。)
クッキーがとにかく可愛くて、どこでもずらっとグラム売りでした。
(個包装のはトルコやどこかから輸入されてきたもののみで、ほとんど見ませんでした)
クッキーがおいしいかどうか、ということに関しては、ふつう、ですけれど。



2012年10月19日金曜日

たった2日のキルギスタン

キルギス滞在はたったの2泊。
しかも首都ビシュケクにも寄らず、オシュという街に2泊。
市場に行ったり、その後の旅の計画を立てたり、出会った人たちとおしゃべりしたりお酒飲んだり中華を食べに行ったり。

ちっともキルギスタンという国に馴染まなかったし、よくわからないまま出てきてしまったけれど、バザールはとても楽しかったです。
ここにも、当然なのだけれど、日常があるのだなぁ、と。




帰ってきた今更ながら思いますが、もうちょっと、キルギスタンにじっくりいてもよかったなぁ、と。
キルギスなんて国、そうそう再び行かないでしょうし。
飛行機の乗り換えでキルギスに降り立つこともないでしょうし、アクセスも悪いし。
私にとって、なんだか馴染まない、どこか馴染めないところでもあった印象の国です。
市場は素敵だったし、スイカもメロンもものすごーーーくおいしかったのですけれどね。


キルギスへの道

さて。
中国のカシュガルを出て、向かった先はキルギスタンのオシュという街。

カシュガルからキルギスへの国境越えは、今まで越えたどの陸路国境よりも面倒で、タフで、ハードで、ちょっと2度目はごめんだね、という国境だったのですが、そんなことをうだうだ書いてもこの国境を通る人しかおもしろくないので、手短に。

この国境を越えるには週2便国際バスも出ていて(確か600元前後だったような?)それに乗って行く方法と、シェアタクシーやらヒッチやらで乗り継いで行く方法(ヒマで物好きで勇気と元気があって冒険好きでお金のない旅行者の方法、うまくいけばバスより早くて安い)があります。

私は当初国際バスで行くつもりでしたが(だって一人でヒッチなんて怖くてできない)、カシュガルで会った大学生の男の子に誘われ、一緒にローカルを乗り継いで行くことになりました。

とりあえず先に結果のみ、旅行者の方への情報として。
かかった時間はカシュガルのバスターミナルからオシュの街まで約35時間、費用は約3500円(途中で1泊することとなったのでその宿代も含めて)。
国際バスだと約24時間、600元(8000円ぐらい)。
人によっては50〜60時間、100元(1300円〜1400円)。
運によってかかる時間も費用もばらばらなので、何とも言えませんが。



中国側の国境の街。ウチャ(ウルグチャット)という街外れのイミグレーション。
ここまでは何の問題もなく。ふんふんと歌でも歌っていれば楽に着きます。
イミグレの係員がヒマそうで、持ち物全て、カメラのデータも全てチェックされますが、そのぐらい、この後のことを考えれば何のそのです。


キルギス国境まで乗せていってくれたトラック。
イミグレ越えたから、さて、国境、さよなら中国!と思いきや。
ちっともちーーーっとも国境がないのです。
ここの国境は山脈なので、山を越えねばなりません。
イミグレを通ってから、7時間経っても8時間経ってもほんとうの国境に着かないのです。
そしてほんとうの国境に着いたころには、国境閉鎖(つまりは係員が働く時間じゃないってこと)、公務員の働く時間しか国境は開いてません。もちろん土日も閉まってる。
仕方ないので国境のまちで一泊。まち、ではないです。村、とも言えない。集落、というか。そんなところ。水はなんとかあったけれど、水道はない。


こーんな道が永遠と。景色は素晴らしいのですよ、本当に。
山の稜線はびっくりする程美しくて、溜め息が出る程なのですが。


キルギスに翌朝入国しても面倒なこと続きで、旅の道連れも私も、ほとほと疲れてオシュ到着でした。(しかもこのとき道連れはおなかを壊していた。)

行ってみないとわからないことがある、やってみないとわからないことがある。
それはよく分かっていて、一度やって、ここの国境越えはほんとうにもういいや、と思います。

ここをローカルの乗り継ぎで行く方々、覚悟して行くことをおすすめします。
(これ読んでくださってる方のうち、中国キルギス間を陸路で抜ける計画を立ててる人がどのくらいいるかは不明ですが)
私たちは、「その日のうちにオシュまで着ければいいね」ぐらいの軽い覚悟しかなかったのです。甘かった。

それでも、景色は素晴らしいですし、大変なことばかりでもないです、きっと。

2012年10月16日火曜日

ひさびさに旅に出た

8月に、ちょっと旅に出てきました。
行き先は、中国のカシュガルからキルギスタンを通ってウズベキスタン。

カシュガルは、あの広い広い中国の端っこの街。
ウイグル人がたくさんいて、中国の中のイスラム圏。
ずっと前から行ってみたいと思っていたところです。




安いエアチケットだったので(というかもともとカシュガルに行くには乗り換えが悪い)、中国の青島で乗り換え、北京で空港泊(空港のベンチに泊まるような旅はするつもりではなかったのに・・・)、それから翌朝ウイグルの州都であるウルムチへ。
ウルムチ行きのフライトが遅れたため、ウルムチからカシュガル間のフライトの乗り継ぎに間に合わず、空港のカウンターの人波にもまれつつもなんとかフライトを振り替えてもらい。
到着まで一苦労、二苦労、やっとカシュガルに到着しました。
遠かった。こんなに遠いのね・・・としみじみ思いました。
イスタンブールとか、カイロとか、距離は遠くてもカシュガルよりずっと近いです。

看板には中国語もウイグル語(読めないけれど、あのアラビア文字)も書いてあって、
モスクがあって、アザーンが流れて。
あぁ!久々のイスラム圏!!とわくわくしながら過ごしていました。

久々の旅は3週間の予定で、しかも季節は夏だから、荷物が軽くて軽くて行きのバックパックは7.9キロでした。
荷物が軽いってなんて素晴らしいのだろう、って思います。
何かあっても走れるし、どこまででも歩けるし、自分の荷物に押しつぶされそうにならないし。



2012年10月11日木曜日

何もないということの衝撃


こちらの写真は南三陸町。街の中心だったところ。
JRの駅があって、市役所があって、商店街があったということをgoogle mapが教えてくれていて、でも実際にはそこはもう平地で、建物の基礎のみ残っていて。
確実にあったもの、ある方が自然なものが、今はぽっかりない、というその場所は、
何だか異様で、衝撃でした。

それはニューヨークのグラウンドゼロに行ったときと同じ衝撃。
周りは高いビルばかりで、その土地もそんなものがあっただろうに、ないという不自然さ。何もないという衝撃。


9月に入り、「ブログを頻繁に書く」宣言をしたのもつかの間。
急に東北に行くことに決め、仙台に行ってきました。
前回の記事での、「偶然再会できた友人」が8月に仙台にボランティアに行き、
その話を聞き、あ、私も行こう、と思ったから。時間はあるし。

ということで、仙台に行って参りました。
主にして来たことは、がれき拾いや農作業。仮設住宅にもお邪魔させてもらいました。
向こうで出会ったひととレンタカーを借りて、海沿いの街(だったところ)をぐるりとしてきたり。

1年半前、地震が起きてから、私はきちんと東北に目を向けてこなかったと思います。
今だって、きちんと何かを「見た」とか「分かった」わけではないけれど。
それでも、今回行って分かったことは、復興はほんとうにまだまだで、機械ではなくて
人間の手でするべきことがたくさんあるということと、地震はほんとうに起こったし、津波はほんとうに来た、という実感。

例えば海沿いで活動をするとき、もし地震が起きて津波が来たときのために、常に方角と避難場所を確認していたこと。
新聞を読んでいても、全国紙のトップニュースが地方紙のトップニュースではないことがしばしばあったこと。(中国の反日デモ等、比較的大きな話題であったとしても、河北新聞は震災や復興に関しての記事がトップの日がほとんどだった。)
泊まっていたところの台所は、使っていないときは必ず元栓を閉めるよう厳しく言い渡されていたこと。
暮らしの中のほんの些細な事柄が、ほんとうに地震があって、ほんとうに津波が来たということをひしひしと伝えているようでした。


ボランティアのあり方についての矛盾を感じることもあったし、
問題が大きすぎてどこをどう支援すればいいのかもよくわからないし。
自分のしていることが何かこの先の明るい方に結びついているのかも
よくわからなくなったことが多々あったけれど。

それでも、自分のしたことで「助かった」と言われたこと、
色々なものが埋まった土だったのが少しきれいな土になったこと、
毎月のように遠くからでも東北に通って復興のための活動をしているひとたちに出会えたこと、
自分のことよりも他人のことを考えて動いているひとたちがたくさんいることを知れたこと。
それだけで、行ってよかったと私は心から思います。
継続的に関わることを真剣に考えようと思います。


2012年9月6日木曜日

会えてしまった!

会えてしまった、会えてしまった。

3年近く前、エジプトとヨルダンで出会ったひとに。
おしゃべりはしたし、一緒にケーキも食べたけれど、「すごく仲良し」というわけでもなく、特別たくさんの時間を過ごしたわけでもなく。
旅をしていたら日々たくさんの人にすれ違い、たくさんの人と言葉を交わして、
連絡先を交換したり、しなかったりするけれど。


そんな、ある日の出会いの一人。
出会う人はたくさんいる中で、彼女はまた会いたいなぁと思っていたひとのひとり。
ちょうど数日前、あ、あのひとは元気かな、とふと考えていたら。

2日前、偶然にも、会えてしまいました。
同じ時期に中東にいた人が音楽をしていて、そのひとのライブに行ったら、あ!と。
会えてしまうものなのだなぁ、と。


連絡先を知らなくても、遠いところに住んでいても、
縁があればまた会えるというのはほんとうだということを
私はここ数年で身をもって感じています。



2012年9月4日火曜日

夏が終わる


夏らしいことをきちんとしないまま、夏が終わってしまいそうです。
かき氷は食べたし、友人たちと花火もしたけれど。
日焼けはたっぷりしたし、冷たい飲み物もたくさん飲んだけれど。

浴衣を着ていないし、花火大会行っていないし、ビアガーデンにも行ってない。
この8月、3週間程外国にいたから、というのも理由の1つではあるのだけれど、
それでもなんだかどこか、いいのかこれで?と思ってしまいます。
きちんとやるべきことが終わっていない感じ。
涼しくなるのは過ごしやすくてうれしいのですが、でも、えぇ?本当に?夏が終わっちゃうの?と。

夏って特別です。
春の終わりにも、秋の終わりにも、冬も、こんな気持ちにはならないです。
特別に夏が好きなわけではないのだけれど。

なんだかちょっとわくわくする(わくわくする原因となることも思いつかないのだけれど)、9月のあたまです。
いいことがたくさんありますように。

2012年9月1日土曜日

お引越しと、短い旅と。


こんにちは。
1ヶ月のあいだ、ブログを放っておいてしまいました。
いかんいかんと思いつつも。

8月の頭に引越しをして、その数日後から3週間ほど中央アジアに行っていました。
中央アジアでのことはのちのち、おいおい。
数日前に帰ってきて、「生活」を作っているところです。

ほんの少し、写真。





9月は、このブログ、ちゃんと書きます。本当です。
自分に誓います。だから、9月は、たまに覗いてくださいね。


2012年7月30日月曜日

暑さの中の、引越し準備




あついあつい、と思いながら荷造りをしています。
今のおうちに住むのもあと3日。

いつでも身軽に、が信条だったはずなのに、次から次からあふれる荷物。
一体私は何を溜め込んでいるのでしょう?

かろやかに身軽に、と思ってはいたけれど。
引越しがわかっているのに梅酒を漬け、コーヒーリキュールも漬け、毛糸を増やし、本も増やし。好きだから仕方ないよね、と自分に言い訳。

新しいまちでいいことがたくさんありますよう、と思いつつの7月末です。


2012年7月19日木曜日

CORONITA





スペイン語で、単語の終わりに-ito、-itaをつけると「ちびっこくてかわいい感じ」になるのですが(セニョーラとセニョリータとか)、ある日見つけた小さめコロナビールは、コロニータという名前でした。
かわいすぎる。コロニータ。
かわいすぎる。スペイン語。

2012年6月27日水曜日

Canta! Timor


「平和とは、演説や政策ではない。生活そのものなんだ。」



わたしは、こんな映画を見たことがありません。
「映画を作るつもりではなかった」というところから始まった、1つの映画。
東ティモールに生きる人々や独立までの歴史にまつわる、『Canta! Timor』という映画。

東ティモールという国について知っていたことは、インドネシアの近くに位置するということと、数年前に独立した国であるということ。それのみ。
独立までに何があって、どれだけの人の血が流されていて、日本がどんな関わり方をしていて、今は人々がどう生きているのか、そんなことについて私は全く知りませんでした。
映画を見た今だって、何かを「知っている」と言える程、わかってはいないのかもしれないけれど。

監督の方がおっしゃっていた、印象深い言葉。
「私はたまたま東ティモールに縁があって映画を作ることになったけれど、それぞれの人がご縁があるところで、縁のある活動をすればいいと思うのです。
本当に、自分の体にやさしい暮らしをしていたら、世界にもやさしいことをしていて、ティモールのことを知らなくても彼らに迷惑をかけることはないと思うのですね、
しあわせのために動くことは、きっと、つながって、遠いひとのしあわせにもつながっていると思うのです。」
というようなこと。youtubeで見た、監督の広田奈津子さんのインタビューより。


本や映画、言葉や音楽に出来事や。
必要な人のところに、必要な量だけ、きちんと届くようになっているのだなぁ、ということを感じます。

「出会うべくして出会っちゃったんだね。」
映画の上映主催者の方に、言われたことば。
うまく文章でまとめることができないけれど、たくさんの人々のもとにこの映画が届いたら、と思います。

私はただただ、この映画が作られたこと、世に出たこと、出会えたことに感謝です。




2012年6月16日土曜日

あじさいの時期に




ちょうど去年の今頃引っ越してきたこの街を、同じ花が咲く時期にもう出ようと考えています。

「引っ越し貧乏」ってみんなに言われるけれど、でも仕方ないのです。引っ越したいから。別の場所に行きたいから。貧乏でも仕方ない。どうしようもないのです。

「同じ天井を3ヶ月見続けることができないんだ。飽きちゃうから。」と言う人に会ったことがあります。
「私は冷蔵庫を買った途端に手放したくなる。そんな大きい家電を持っちゃうと一気に重たくなっちゃうから。」と半年で引っ越す友人もいます。

私はもうちょっと長い期間一カ所に留まれる、とも思うけれど、結局彼らと変わらないのかもしれません。やどかりのような生活。

そろそろ落ち着いてもいいかな、とも思いながら。
落ち着く、というのは「ここで暮らす」という覚悟を決めることなのかもしれません。
次の街で、落ち着くことができるかどうかはわからないけれど。





2012年6月10日日曜日

長生きは良いことか?ということについて



総合病院のICUに看護士として4年間勤めている友人と久々に会って話をして、
その中で印象的だったこと。

「睡眠薬を大量服薬したくらいじゃ人間死なないよ。
そんなので死んだ人見たことない。」

「自殺しようとする人いっぱいいるけど、死ねない人、たくさんいるよ。
こないだもね、自分でおなか刺して運ばれてきた人がいたけど、死ぬ覚悟がないんだよね、傷が浅くてちょっと縫って終わり。その刺し方に全然覚悟がない。そんな人、多い。」

「日本の平均寿命は長いけど、脳死状態で生かされている状態でもそれは統計上生きていることになるからね。呼吸器で生かされているひとも、たくさんいるからね。」

医療技術の発達によって助かっている人がたくさんいることは知っているし、それを否定は決して出来ないけれど。
でも、ひとが、自由に、自然に、というか「死ぬべきとき」に死ねない世の中なのだなぁ、と。


以前誰かが言っていたこと。
「煙草をやめたほうがいいとか、煙草を吸わない方が長生きできるとか言われるけど、一体誰が俺の寿命を知っているんだろう?そんなこと余計なお世話で、自分が好きなように生きて、死ぬときがきたらそれが俺の寿命だと思ってる。」

「生きることがいいことだ」「長生きすることがいいことだ」と無理矢理に長生きさせられるよりも、どちらかと言えば、私はこのスモーカーの意見に、賛成。

まだまだ死ぬ気はないけれど、身近な人もみんな死んでしまったら困るひとばかりだけれど、でも、苦しみながら機械の力で悪あがきするよりは、きちんと死ぬことを迎えられるように、と思います。

健康な今だから言えることなのかもしれないけれど。それでも。


2012年5月31日木曜日

こなつ こなつ こなつ







5月ごろ、高知でよく見かける丸くて黄色い柑橘系の果物は「小夏」と呼ばれていて、
なんてかわいい名前なのだ!と見かける度に思います。
「小夏」って。なんてすてきな名前の果物なのだろう。


2012年5月29日火曜日

春のお出かけは雨ばかり







この春は、あちこちに出かけて会いたい人たちに会ってきました。

会えるかな、会えたらいいな、と思いつつも、別々の道を進むし、きっと会えないだろうなと思っていた人にも再会することができました。
会えてしまうものなのだなぁ、というのが正直な感想。
思い続けていれば、神様はチャンスをくれるのだなぁ、と。


ここ最近、からだが変わった実感があります。
例えば早起きができるようになったこと。5時台6時台に目が覚めたり、
休日でも比較的早く起きて活動していること。昔はいつまででも寝ていたのに。
例えば下着が合わなくなったこと。(急に太ったとかやせたとかではないのに。)
例えば、ひじきとかわかめとか、海藻を食べたくなるときがよくあること。
「歳かぁ」と思えばそれまでなのですが、なんだか自分が「人間」として、
ほんとうに少しずつ変わっているのだなぁ、ということになんだか感慨深い日々です。


2012年5月20日日曜日

土地に呼ばれる

気持ちがふわふわしていると、写真もふわふわします。
本当に正直に出てしまうなぁ、と思って。
こちらはGWに行った、高知の道の上にて。



「土地に呼ばれる」という感覚が、あります。
旅をする人たちはよく、そのことばを口にします。
「ここに呼ばれちゃったからね」「あそこには呼ばれてなかったね」

知らず知らずにある土地にいることになったり、離れられなくなったり。
もしくは、行こうとして計画を立てていても何かの理由で行けなくなったり。
(例えば土砂崩れで道がつぶれるとか、バスチケットが取れないとか、そんなささいなこと。)

人知を越えたと言っては大げさかもしれないけれど、でも、自分の意思とは
別のことがらからある土地にいることになったり、もしくは離れたり。
そういうこと、目に見えなくて理屈でもない直感のようなものに素直に従って、
自分が「いる」ところを選びながら、割と今まで暮らしてきました。


高知は、というか四国は私にとって特別なところでした。
初めて四国に降りたそのときから、ここに住みたい!とはっと目が覚めるように思い、
高知にご縁があって初めて足を踏み入れたときから、「こんにちは、よく来たね」と
迎えられているような感覚。
2年間住んでいたときは、その場所にいることがうれしくてうれしくて仕方なかった日々。
空の青の濃さも、気合いの入った雨の降り方も、土佐弁の音もことばの言い回しも、
人々の顔つきも、目に入る風景、街の匂い、とにかく全てがわけもなく好きなところでした。
土地に恋していた、という感じ。呼ばれちゃったんだなぁ、ここに、と思っていました。

そんな高知に久々に行った先日。
楽しかったのだけれど、高知はほんっとに素敵なところだったのだけれど。
4年ぶりに会っても離れていた時間なんてないように話せる大好きな友人もいるのだけれど。
それでも、何かが確実に違っていて、以前のような気持ちではありませんでした。

土地は変わるし、人も変わる。
土地が変わったのか、私が変わったのかは分からないけれど、でも、以前のような
「特別」な感じはもうないということが、なんとなくはっきりわかったのです。

まだまだ、もう少し、私の「土地をさがす旅」は続きそうです。
身にふりかかるご縁の糸をたぐりつつ、次の居場所を見つけようかと思っています。



2012年5月17日木曜日

"Time within us"


こんばんは。
ご無沙汰してしまいました。
比較的ばたばたしていたけれど、すごく忙しかったわけではなく、
書きたいこともぽつぽつ浮き上がってはきていたのですが、
うまくしっぽをつかまえることができなくって。








ここ1ヶ月は、かっこいいひとにたくさん出会っています。
かっこいいというのは、その生き方が。
生きることに思い切りのある人は強くて、かなわない、と思います。

私も覚悟を決めて生きていかなくては、と思うのですが、まだまだふらふら
迷ったまま。
少しずつでも進むしかないこと、分かってはいるのですけれど。


タイトルは全く関係のないことばだけれど。
イスタンブールにいたときに美術館でやっていた、展覧会のタイトルでした。
なんだか好きだな、と思って頭の片隅にずーっとあったことば。