2011年2月27日日曜日

水曜、午前10時すぎ、商店の前にて


水曜日の午前中。
通っているスペイン語学校から20mほどの距離のところに公園があって、
休み時間はそこでよくぼーっと過ごすので、その日もそこに行こうと歩いていたとき。

人通りもあって、車も通って、いいお天気で。
片手にかばん、片手にノートとペンを持って歩いていたら、人とのすれ違いざま、
急にかばんを引っぱられました。
一瞬何が起こったかわからなくて、でもかばんから手を離さず、とにかく
何を言っているのか分からなくとも大声で叫んでいました。
あーーー がーーーーー わーーーーーー!!!!!!!!と。

そしたらその人は何も盗らず私から静かに離れていきました。
周りのが来てくれて、「なんか盗られたの?」とか「大丈夫?」なんて声をかけてくれて、
学校の2つ隣の裁判所にはよく警察がいるので、そのとき警察がいるかどうか聞きに行ってくれて。
学校の先生もその裁判所のガードマンにあったことを話してくれて、警備を厳しくするよう言ってくれて。


確かに私は気を抜いていました。
アンティグアは「神様の手の中のように安全」だと思っていたし、この街で危ない目には遭わなかったし。
何も被害がなかったことは幸運なのかもしれません。
でもそれ以来、人とすれ違うだけでなんだかびくっとしてしまいます。

中米の治安の悪さはよくわかっていて、例え地元の人でも首都のグアテマラシティに行くときは腕時計を外しアクセサリーをつけず、お金を分散させて大金は靴の中に、と言います。
もちろん全ての場所が危ないわけではないし、時間帯にもよるけれど、
グアテマラ人でさえ「バスに乗るのは怖い」「ピアスは絶対に外して行く」などと言うのです。
そういうこと、わかったはずだったのですけれど。
ここにいるってことは危険な目に遭うリスクと隣り合わせにいるってこと、わかっていたはずなのですけれど。


「仕事がなくて、あったとしても家族を十分養うだけは食べて行けなくて、
だったら例え密入国という危険を冒してもアメリカに行くことが成功したら
お金を稼げて家族に送金できるよね。だからアメリカに行きたい人は多いし、
でも密入国のときうまくいかないと麻薬売人のグループにつかまって働かされるんだ、
グアテマラシティのバスの中でスリの仕事に就かされる人もいる、
でもそれが悪いって誰が言えるんだろう?他にどういう道があるんだろう?」
最近、話題に上ったときに先生が言ったことです。

強盗は悪い、引ったくりは悪い、お金を得るために他人を殴ったり傷つけたりするのは悪い。
確かに、確実に、間違いなく「悪い」のですが、「そういうことをする人は悪い人で、
やめさせないといけない」と簡単に言いきれることでもないように思うのです。
確かに悪いんだけど、でも、と思うのです。
貧困が生む悪循環のやりきれなさを思います。

ほんの数週間滞在しただけでは見えなかっただろうこと、旅の途中で立ち寄っただけでは
わからなかっただろうこと、そういうことが少しずつ見えてくる「半年」という滞在期間です。



2011年2月23日水曜日

神様の手の中より




今スペイン語を習っている先生が言ったこと。
「中南米の治安は悪いけれどね、アンティグアは安心して大丈夫。
ここは神様の手の中のように安全よ。」
神様の手の中、という表現に、なんだかどきりとした数日前。


数週間ぶりにビールを飲んだら、なんだか目が覚めるほどおいしくて、
久々に飲むビールがこんなにおいしいのなら数週間ぐらい断酒してもいいかも、
と少し思いました。


日本語を教えることをしていて、今まで何とも思っていなかった漢字をじっと見ていると
それまで気付かなかったことに、たまにはっと気付きます。
日と月は光を出すものだから「明るい」という漢字が出来たのだろうな、とか、
「晴」はお日さまと空の青だから晴れなのかもな、とか。
先人の知恵ってすばらしい。そしてロマンティック。

それにしても日本語は難しい。
「切る」と「着る」は両方とも「きる」なのに活用が違っていて、
1つは「切らない」になるしもう1つは「着ない」になるし。あぁぁ!!!と思います。


今月のあたまに、「2月は更新をもう少し頻繁にしようと思う」と書いたのですが、
いろいろとあってちっとも頻繁になっていないです。
自分の思っていることに、自分のことばに忠実に、と思ってはいるのですが、
なかなかそうもいかないです。
素直になればもっと流れるようにうまくいくこと、たくさんあるのかもしれないのですけれど。



2011年2月19日土曜日

音があること、ことばがあること



キューバに行ったとき、耳の聞こえない男の子に会いました。
耳が聞こえなくて、しゃべれなくて、でも数年旅を続けている。

彼は自由に旅をしていて、耳が聞こえないことなんて大したことなく旅をしている、
私にはそう映りました。
ほんとうのところはどうか分からないけれど、例えば私は女だから1人で夜出歩けないとか、
イスラム教の国を旅しにくいとか、目が悪いからコンタクト用品を持ち歩かないといけない、とかと同じ程度の負担のように見えました。
そのぐらい、彼はふつうに、旅をしているように見えたのです。

みんなでアイス食べたりお酒を飲んだり、よく寝る私を「このあと昼寝でしょ」なんて
からかって。
何も違わない、と思ったのです。
私はそれまで身近にろうの人がいなかったから初めて思ったことだけれど、何も違わないと。

ふとつぶやいたことばが届かないとか、思わず「ねぇ」って言ったことばが届かないとか、
そういうことなんだなと思うと同時に、ことばがないからこそ持っているものもあるのだ、
ということを感じました。

それは表情で、彼の笑顔は何だかもうスペシャルで、それは聞こえない人独特の、
彼らのみが持つスペシャルさで、周りの人を引きつけずにはいられないもの、
だったような気がするのです。


私たちは唇の動きか、筆談かジェスチャーかで会話をしていました。
でも、なんだか、きちんと伝わる気がしたのです。

たまに思うのは、ことばがない方が、気持ちが伝わるのかもしれない、ということです。
ことばを使えると、ことばに頼ってしまうから。ことばで伝えられること伝わってくることが
全てだと思ってしまうから。

ことばというのは、人に何かを伝えるためのものだけれど、それでも、
ことばが邪魔をして伝わらないこともあるような気がするのです。


私は今スペイン語を勉強しているし、もっと喋れるようになりたいと思っているけれど。
それでも、ことばがなくても人に気持ちを伝えられるような人でありたい、と思うのです。


なんだかまとまりがない文章になってしまったけれど。
そんな出会いのあったキューバでした。

2011年2月14日月曜日

チョコレートの日に



私はバレンタインっていうイベントが好きで好きで、
たとえチョコレート会社の商業的なやり方だったとしても、
なかなかいいイベントだと思っています。

バレンタイン前のふわふわした桃色の空気とか、デパートでチョコをたくさん持つ
女のひとたちはみんな誰かのことを考えながらいるだろうこととか、
それでもほとんどの女のひとたちは自分のためにもチョコを選んでいることだとか、
なんだかそんなことの全てが甘くってsweetで、なんだかとても好きなのです。

以前勤めていた職場にいた男性たちはたくさんチョコレートをもらっていて、
14日にこんなに集中してチョコが来るのは大変だろうから、私は自主的にバレンタインを
1週間早めてチョコを渡そう、そうすればその1週間前からチョコレートに飽きずに
過ごしてもらえるだろう、などと(余計なことを)この時期毎年考えていたのですが、
それを実行する前に退職してしまいました。
日本で再び勤めるときにはそれを実行しようと思っています。
「自主的バレンタイン前倒し」、よかったら、ご一緒に。


最近思うのは、日々、きちんと人に気持ちを伝えておかなくては、ということ。
どこで、いつ、誰かがいなくなって、それまでの関係がくずれるかわからないから。
バレンタインだからどうこうではなくって、できるなら日々の生活の中で、と思います。

今年のバレンタインは特に何をするでもないけれど。
ささやかに、あぁバレンタインだ、と思って過ごします。


2011年2月8日火曜日

pensamientoを買った土曜日



土曜日、市場で買い物をしていたら、「ペンサミエント、ペンサミエント」と言いながら歩く
おじさんが私の後ろを通りました。
振り返ったら、すみれの小さな束を持っていて、1Q(11円)と言うもので、
ついつい買ってしまいました。かわいいです。
でも2日目にして元気がなくなってきてしまっているのですが。
「ペンサミエント」というのは、思考とか考えという意味で、(英語のthinkingにあたる)
どうしてこんな名前になったのか分からないのですが、とにかく、pensamiento。

この週末はトイストーリー3を観ました。
ほんっとにおもしろかったです。トイストーリー3。
それぞれのおもちゃのキャラクターがしっかりしていて、生き生きしていて。
1人手を叩いて笑ってました。あのユーモア、すばらしい。
トトロも出てきます。トトロですよ!トトロ!!!!!
音声や字幕を変えて2回も観てしまいました。ほんとに。ぜひ。

人と人って化学変化みたいだな、ということをなんとなく思います。
誰かと過ごすことは、結果の分からない化学変化。
人と過ごすって、お互いがお互いに少しずつ近寄って、影響を受けながら少しずつ色が変わって。
人と過ごすことでできあがる「何か」ってこんなにおもしろいのだ、というか未知のものなのだ、というか。
今まで関わりを持たなかったタイプの人と過ごすってこういうことなのか、というか。
ほんの数日では分からなくて、ある程度の時間をかけないとわからないこと。
人と会って、時間を過ごして、少しずつ影響を受けて与えて、何かが変わって、
そういうことがこれからもたくさんあるだろうことが、楽しみで仕方ありません。



2011年2月5日土曜日

一年前は



1年前の1月後半は、エジプトにいました。
食べ物がおいしくて、アイスがおいしくて、ムスリムの国にしてはとても開放的だった
(トルコほどではないけれど!)エジプト。
親切な人もうっとうしい人もたくさんいた、エジプト。




旅をするってことは、世界が他人事ではなくなること、だと思うのです。
それぞれの土地に思い出があって、人が生活しているってことがわかって、
たとえ、こいつ•••!って嫌な思いをしたとしてもそれでも、何だか、他人事とは思えません。

あの土地で生活していた人たちが、例えば1年前と同じ生活をしているかどうか分からないけれど、
エジプトのニュースを見るたびに、穏やかな気持ちではいられません。


2011年2月3日木曜日

さよなら1月 こんにちは2月


今日はキューバの風景を。




光陰矢の如し。
日々が過ぎるのがあっという間で、日々ってこんなに早く過ぎていくものだったっけ?と思います。
宿題に追われる日々です。
スペイン語漬けの日々です。
今が勝負だ!と思って勉強しています。
何の勝負かちっとも自分でも分かっていないけれど。

でもスペイン語ってほんとうにおもしろいのです。
最近、おおっ!と思ったのは、「ふたをする」という動詞、tapar。
たぱーる、というのですが、タッパー(入れ物の)ってここから来たのね•••と。
ついでに、「ふた」は、tapa。たぱ。
そんなちっちゃな発見がなんだかとてもおもしろいのです。


2月は、このブログをもう少し頻繁に更新しようと、思っています。
またどうぞよろしくお願いいたします。