2010年11月24日水曜日

いよいよ明日から!


教会の入り口から差し込む光があんまりにもきれいだったので。



明日からキューバに行きます。
ネット事情が悪いので、ブログの更新もネットのチェックも、
これから2週間のあいだできません。
2週間後にごあいさつすることになるかと思います。

自分の目でしかとキューバを見てこようと思っています。

それでは、また!
いよいよのキューバに、行ってきます。


2010年11月23日火曜日

苦手なこと


のみの市は楽しいのです。
メキシコシティ、日曜日のみの、蚤の市にて。




「ビーチリゾート」が苦手です。
欧米からのお金持ち観光客がわんさか押し寄せるところ、カンクン。
空は青く、海も青く、カリブ海は目の前の、カンクン。
1人だし、デパートは乱立するも何も要るものはなく(5分で飽きた)、実はすることのないカンクン。街の中心部も、人々の生活感がなく「ツーリストの街」という印象が拭えないカンクン。

私は海がほんの少し、どことなく苦手です。
嫌いではなくて好きだし、波の音も匂いも好きだし、海を見れば「海っていいなぁ」と本心から思うのだけど、でも1年に1度か2度、海を見ればそれで満ち足りてしまうぐらいです。
うまく理由にならないのだけど、でもそのぐらいでちょうどいいのです。
どちらかというと、川とか山とか植物を見ている方が落ち着くし、人の住んでいる街を見ることの方がわくわくします。
私の「今年の海」はもう十分に充電されているから、これ以上もういいのです。

ビーチで泳ぐ気にならない私は時間を持て余し、勉強したり、本を読んだり、スーパーを探検したり、鞄の底に入れておいた毛糸で編み物をしたり(何たって「旅人手芸部」ですから)。今日は映画を見てきました。英語の映画で、スペイン語字幕つきのもの、勉強になるしと思って。•••半分ぐらいしか、分からなかったけれど。

あと1日のんびりします。
それからキューバに行きます。
ここでこんなに日にちがあるのは、キューバ行きのチケットが混んでいて数日間待たなければ取れなかったからです。

早くキューバに行きたい、と思いつつの日々のなかです。


2010年11月21日日曜日

「ふつう」を撮りたい


街の「ふつう」を撮りたい、と思っています。







先日帰国した知人からのメール。
「日本はさむいけどみんな日本語が話せるよ。
今は家のリフォームしたり、庭をたがやしたり、おしるこを車
で売ったりして楽しく過ごしてるよ。」
地に根が生えた生活もいいなぁと思いつつの11月。
きっと無い物ねだりでしかないのですけどね。

2010年11月19日金曜日

湿気と再会がうれしかった日


グアダラハラから飛行機に乗って2時間半、ユカタン半島の先っぽ、カンクンに着きました。

メキシコは物価の割にバスの値段が高いので、数十時間かけてバスを乗り継いでここまで来るよりは格安エアで飛んでしまえ、と一気に来てしまいました。びゅーんと。

大西洋です。カリブ海です。大リゾート地です。青い海です。
着いたときの空はこんな色をしていました。


空気に潮の匂いが混じっていて、湿り気があって、最近乾いたところにいたから
湿度が恋しかった私はその空気になんだかとてもうれしくなりました。

降りたとたん、「そこは危ないから写真をとるならあっちで」と英語で話しかけられました。
地元の人に英語で話しかけられたのなんてどのくらいぶりだろう、と思いながら。
別のおじさんにも「バス探してるのかい?ADO(バス会社)かい?」と。
あーでーおー(スペイン語読み)ではなくて、エーディーオーって。
「カンクンは英語が通じる」という噂は本当だったようです。

夕方雨がざあっと降って、シャワーのお湯は限りなく水に近くても気持ちがいいくらいで、
(お湯が出ない•••でもまぁいいや、と思いながら浴びていたら後にお湯になった)
なんだかそんな小さなことに新鮮な気持ちで驚いています。

宿に着いて、とりあえず近くのスーパーに買い物に行き、ぼーっと商品棚を見ていたら
急に名前を呼ばれました。「はるなさん!」って、日本語で。
振り返って見ると、アンティグアで会った人たちが、3人、いました。
アンティグアでは1日か2日、ほんの少ししか時間を一緒に過ごしていなかったのに、
名前を覚えていてもらったこと、こんなところでひょこっと会えてしまうことが
なんだかとてもうれしかった1日でした。

非常にメキシコっぽくないところ、カンクンでほんの数日だけのんびりします。



2010年11月18日木曜日

礼拝堂にて


先日お話した、ルイス•バラガンの、トラルパンの礼拝堂。
中庭のみ、1枚のみ、写真を許してもらったので。
ここの空間の雰囲気のようなもの、写真で伝えられる自信はないのですが•••。


お花をじーっと見ていたら、写真撮っていいよ、と言われたので。
この花の名前を聞いたけれど、忘れてしまいました。



かわいいなーと思って見ていたら、1つあげる、とシスターがお花をくれました。



なんだかすごくうれしかったのです。
あとになって思い出すことは、例えば人の善意とか親切とか、あるいは無愛想さとか(ほとんどないけれど)悪意とか、そんなこと、人の感じが多いような気がします。
だからこそ、人に対して誠実に気持ちよく、と思っています。
気持ちがささくれているときはそうもいかないのが現実ですが。難しい。

2010年11月17日水曜日

変わることと変わらないこと



大学生のころラジオで耳にしたことで、1つだけはっきりと覚えていることがあります。

「周りの環境がどんどん変わる中、その中にいて自分が変わるのは当然で、
変わるからこそ、自分の内面とか、本質的なところは変わらずにいられるんだ。」

私は大学生の頃から何か変わったのかな、変わったとしたらいい方に変わっているのかな、何も変わっていないような気もするのだけどな、とも思う最近。自分ではさっぱりわからない。

変わることに対して恐れないように、周りの人が変わったことに対して、たとえそれで自分から離れていくことになったり自分と何かすれ違いになったとしても、前向きにとらえるように、と思ったのです。それはその人の道なんだから、と。


先日、周りの人たちの「お誕生日リスト」を作りました。
それと同時に歳も考えてみて、どちらかと言えば年下の友人よりも年上の友人知人が多いので、周りが30前後40前後ばかりで、なんだかそれにはっとしたのです。
みんな歳が増えてるんだなぁ、ということに。それだけ年月が経ったんだなぁ、ということに。もちろん私も。
世間では「あらさー」と呼ばれるお年頃です。


宿で働いている、父さんフランス人で母さんノルウェー人の兄さんが言っていたこと。
「初めは旅行していたんだけどね、でも僕はこの街に恋をしてしまったんだ。
だからここに住むことにしたんだ。」
彼は確かに「恋に落ちる」という単語を使っていて、私は思わず聞き直してしまったのですが、
でもその気持ちも分かるなぁと素直に思う街、グアダラハラというところにただ今います。


2010年11月16日火曜日

いろとりどりな街


メキシコシティを出て、サンミゲル•デ•アジェンデというところに行き、
そしてグアナファトという街に行ってきました。
いろとりどりで、迷路のようなところでした。


連休の中だったからか、メキシコ人観光客が多くて多くて前に進めないほどでした。
ものすごい、「観光地」でした。街の規模と道を歩く人がつりあっていない、というか。
それでも、観光地になるのがよくわかる、かわいいかわいいところでした。
ヨーロッパからの入植者が入ってきたことがよくわかる家や窓の形、街の雰囲気です。






メキシコって広いのです。面積は日本の約5倍だそうです。

そして、さっき初めて知ったのですが、メキシコを表す漢字1文字は「墨」だそうです。
こーんなに色とりどりなのに、色鮮やかなのに、「墨」。
アメリカは「米」で、ドイツは「独」で、中国は「中」で、メキシコは「墨」。
(「米」なんて「ベイ」って読めば確かにアメリカの匂いはするけれど、「コメ」って読んでしまえばそれは日本みたい。「麦」とかの方がイメージ的にアメリカっぽい。勝手なこと言ってますが。)

グアテマラから少しずつ北上してきて、今は少し北の方にいるのですが(でもアメリカ国境までは遠い)、南部とここはなんだか別の国のようです。
物価も全然違えば(サンクリストバルとここでは、1.5倍から2倍ぐらいこちらの方が高い気がする)、街の雰囲気も、歩いている人の雰囲気も、違います。北にいくたびに先進国の匂いが濃くなっていく気がします。なんだか不思議な魅力に満ちた国です、メキシコ。


2010年11月13日土曜日

ルイス•バラガン


メキシコシティでぜひ見たいと思っていたものに、ルイス•バラガンの建築があります。

ルイス•バラガンを私に教えてくれたのは、見ているものがとても近い、1人の友人でした。
前回の旅に出る直前、建築についての雑誌が3冊、家に彼女から送られてきました。
1つの特集はガウディ、1つはル•コルビュジェ、そしてもう1つがルイス•バラガンでした。
「これ、絶対に好きになるはずだから、読んでみてね」と。

それ以来ずっと心にひっかかっていたルイス•バラガンの建築。
いつか見てみたいと思っていたものを見る機会に恵まれ、メキシコシティで見に行ってきました。

行ったものは、彼自身のために作ったルイス•バラガン邸と、「トラルパンの礼拝堂」と呼ばれるもの。

バラガン建築が語られるとき、「光」ということばがよく使われるような気がするのですが、その意味がなんとなくわかりました。
光の入り方、影の形、目に入る光景、その色、全てがぴんとしているようでした。

2つとも、とてもとてもすごかったのですが、特に印象的だったのは礼拝堂です。
礼拝堂に一歩入った途端、鳥肌が立ちました。
あの空気とか光の感じを何と言えばいいのだろう、と思います。
それはもう、ことばにならなくて、その空間で肌でしかわからないことのような感じでした。
ぴんとしていて、凛としていて、とにかく美しくて、空気が澄んでいて。
あまりに美しく、あまりに完璧で、目に見えないものの存在を信じる気持ちになる、というか。

思ったことは、バラガンという人は、とことん考えて、全く妥協せず隙を作らず、100%を求めてあの礼拝堂を作ったのだろうな、ということ。
こういうことが、空間で、その中の空気で、ぴんと分かってしまうこと。
私が考えている以上に、空気はいろいろなことを伝えるのかもしれないな、と思ったのです。


内部の写真撮影は一切禁止されているので写真がないのですが。
それでも、写真を撮ることができない分、体全体でその建物の空気を感じられるし、見ることに対する真剣味が違うような気がしたのです。

バラガンを教えてくれた友人に感謝します。
たくさんのいいものをいつも教えてくれてありがとう。


建物を見たときの以前の感想を。よかったら読んでいただけると幸いです。

2010年11月12日金曜日

だってふたを開けたらちょっと幸せだから。



インスタントコーヒーの瓶がバックパックの中に入っています。
「ジップロックとかに中身入れ替えればいいのに」などと言われるのもごもっともだし、
グアテマラに多少の荷物を置いてきたにも関わらず、バックパックはぱんぱんなのに、
インスタントコーヒーの瓶を手放すことができないのはこの女の子がかわいすぎるからです。
(と言ってもあんまりちゃんと見えないかもしれないですけど。)

「グアテマラに行く」と言った私に、かなりの人が「コーヒーだね」と返してくれました。
メルカドで売っている、地元の人が飲むコーヒーはあまりおいしくないのですが、
インスタントコーヒーはなかなかのもので、できればお土産に日本にたくさん買って帰りたいぐらいなのです。

2010年11月11日木曜日

光と闇のある街にて


ただ今、私はメキシコシティにいます。
大都市です。地下鉄があちらこちらに走り、人も車も多く、ビルは高い、大都市です。
日本のお醤油も、ポン酢もだしも抹茶でさえ、比較的簡単に手に入る、大都市です。

治安が悪いだの、排気ガスで空気が悪いだのと聞いて来たメキシコシティ。
治安も空気もグアテマラシティの方が格段に悪いように感じます。
それよりも思うのは、おもしろい、ということ。ここはおもしろすぎる、と思うのです。

エネルギーが渦巻いていて、パワーがあふれています。
何かを作り出そうとする、パワーみたいなものが確実にあるのです。
そしてそれができる土壌のようなものも、きちんとあるのです。
うまく言えないのですが。
でもここで、例えばフリーダ•カーロとかディエゴ•リベラみたいな画家や彼らの絵が生まれたことを納得するし、
岡本太郎のような強いパワーを持つ人がメキシコに惹かれた理由が、なんとなく分かるような気がするのです。

昔、沢木耕太郎の文章でこんな内容のものを読んだことがあります。
確か、「たとえ犯罪でも、何かが起こる街というのは、とても魅力的なのだ」という内容でした。

メキシコシティはそんなところだと思います。
治安は昔より改善されたとは言え、まだまだ「良い」とは言えないだろうし、
それでも、良いこと悪いことも含めて、ここは何かがあって、何かが起こる街だと感じます。
街が動いているというか、渦中にあるというか、変わっていく、というか。
これだけ人がいて大きいから、明るい部分も闇もきちんとそれぞれ存在している、というか。

少し離れがたいほど、メキシコシティは私にとって魅力的な街です。
きれいなものだけではない、ということ。人が住んでいる、ということ。
光も闇も包容してくれる街だということ。いろんな人が生きているということ。

メキシコシティに住むことを本気で考えてしまったほど、ぎゅっと好きになったところです。


2010年11月9日火曜日

ARE YOU HAPPY?


オアハカ郊外の、小さな村の市場より。






このことは覚えておこう、とか、このことは忘れたくないな、とか。
この子の笑顔はなんだかとてもすてきだった、とか。
そんな出会いとか出来事が毎日少しずつあって、そんなことがあることが幸せです。
もちろん、いいことばかりではないし、自分の言動に反省することもあるのですが、
それでもいい1日だったと思って1日が終わる日がたくさんあることが、幸せです。
みなさんどうもありがとう。

2010年11月8日月曜日

メヒコの道の上より


メヒコにはこんなすてきなお姉さんがたくさんいます。(半分嘘です。半分本当です。)



メキシコなのに、「マハトマ•ガンディー通り」。





メキシコの郵便局マークはとてもとてもかわいいのです。
この鳩!ピンクときみどり!今まであちこちの国で郵便マークを見たのですが、
メキシコのかわいさはその中でもかなり上位です。(あ、私の中で、ですけど。)




今日の朝、洗濯をしていた私の横にいた、30歳前後と思われる日本人男性2人の話。

「出会うっていうのは、お互いに愛を与えて、それで初めて『であう』ことだと思うんですよ、ぼくは。会うだけでは人と会った意味がないんです。」

「努力っていうのは、すれば報われると思っている人が多いのかもしれないけれど、本当は報われないことの方がずっと多いんです。それは宝くじみたいなもので、宝くじって買わないとあたらないでしょう、努力もとりあえずしてみないと報われるかどうかわからないんですよね。努力はしなきゃだめなものではなくて、とりあえずしてみるものだとぼくは思うんです。」

ひなたぼっこをしながら、朝からアツイ話し合いが進んでいて、その会話にほんの少し参加しながらも、ふーんと思いながら洗濯をしながら聞いていた話。
人の話をきくことが好きです。話すことも好きですが。


2010年11月7日日曜日

死者が戻って来る日に思ったこと


日本のお盆にあたる「死者の日」に、こちらの人はみんな家族で夜、お墓参りに行くということで、

私も墓地に行って来ました。


そこで目にしたもの。

ずらっと並べられたろうそく、お供えものの花、人人人人、音楽隊、

墓地の周りには移動式遊園地、タコスやらポップコーンやらとうもろこしやらの屋台。

楽しそうな人たち、カメラを持った観光客、仮装した人たち。とにかく人人人人。


その印象は、楽しそうだな、ということです。

みんなにこにこして、わいわいして、わあわあ言ってきゃあきゃあ言って。

墓地に、「暗さ」とか「じめっとした感じ」が全くなかったのです。明るく、楽しく。

それは完全に、「お祭り」でした。故人をおもいながら、楽しむというお祭り。

人々がその行事を楽しみにしているというお祭り。

勝手に思ったことは、こんなに人々が楽しんでいるなら死者も楽しいかもしれないな、ということ。


以前別の墓地に昼間行ったときは、お墓参りをする家族、ピクニックするカップルの姿を見ました。

お墓のある場所に行くということが、身近なことのような様子でした。

日本より、墓地が生活に入り込んでいることがなんだか少しうらやましかったです。


ろうそくの光のある美しい場所で、人の笑い声のある、明るい墓地、それは何だかいいな、と思いました。

私がもし死んだ人だったら、しめっとした空気の中よりも人々の笑い声の中で眠りたいです。


こんなお墓参りもあるのだ、と思った死者の日でした。



ただ今メキシコシティにいます。

とにかくとにかく寒いです。冬のようです。

暖かいところに行きたいのですが、シティにいることが楽しすぎるのであと数日ここにいます。


それではまた、おやすみなさい。


2010年11月6日土曜日

がいこつはかわいい?


死者の日のオアハカより。


本気で買おうかどうか迷ったがいこつピアス。(買わなかったのだけど。)
かーわいいなー。でも、冷静になったら、今後つけないかもと思ったので。



相変わらずこんな顔も街にあふれていたのです。
これも買って仮装しようかとちょっと本気で考えていたのですが•••。



パンにはこうやって人が埋まっているのです。
しかもきちんと食べられるのです。(あまり味はしないけれど。)
でもこのパンはおいしくないのです。



お供えの花はマリーゴールド。
どこでもみんなマリーゴールドを買っていました。

2010年11月3日水曜日

モモステナンゴという村にて。


ガイコツ祭りの話は少し置いておいて。



グアテマラの、モモステナンゴという村に行ったときのこと。
女の子たちと知り合いになりました。

「スペイン語話す?」少しだけね。
「どこから来たの?」日本。あなたたちは?
「ここに住んでるの。ねぇ、名前は?」ハルナ。
「何してるの?」うーんとね。旅行中なの。
「ねぇ、写真撮って」いいよ。
「できたら、送ってほしい」うん、いいよ。
「ほんとう?」うん、ほんとう。送るよ。住所は?
「えーっとね。(住所を書く。)いつごろ?」たぶん11月ぐらいかな。
「待ってるからね」うん。送る。
「ありがとう、またね」こちらこそどうもありがとう。

ことばがわかるって、こういうことなんだ、と思ったのです。
ほんの少しの、何でもない会話がきちんとできるということ。
私のスペイン語はまだまだなのですが、それでも相手の言っていることが大体わかって、自分の言いたいことも多少は言えるようになりました。
ふつうの、日常の、会話の中に少しでも加われることがうれしかったのです。
理解しがたい文法がわかるとか、新聞が読めるようになるとかよりも、こんな会話ができたことが、なんだかとてもうれしかったのです。



人の顔つきがおだやかであたたかくて、人が人の表情をしている、ような、村でした。
すてきな笑顔をたくさん見せてもらった、すてきなすてきな、ところでした。

グアテマラの郵便事情はとても悪いのですが、彼女たちに写真がうまく届きますように。


2010年11月1日月曜日

ガイコツ便り


メキシコのオアハカはただ今こんな様子です。
街の中心の公園には、ガイコツの砂絵が作られています。



メキシコは中米ではなく北米、らしいのです。
私は中米のイメージがあったのですが、北米だとメキシコ人は言うのです。

確かになるほど、ここは中米ではないのかもしれない•••と思ったこと。
宿のキッチンのガスコンロが、ひねるだけで火がつくこと。ここずっと、コンロをひねった上でマッチの火を近づけないとコンロに火がつかない生活だったので、ひねっただけでぼっと火が出ることに、先進国の匂いを感じてしまいました。
「うわぁ火が出た」と一緒にいる子とおおはしゃぎです。
(でも市場ではマッチ売りのおじさんおばさんがいるので、マッチで火をつける家庭も多いのかもしれないのですが)



今日一番繁盛したのはアイス屋ではないかと思うほどの暑さ日差しの強さでした。
今年も残すところあと2ヶ月!