2010年12月29日水曜日

365日の中の362日目



気がつけば今年も残すところあと数日です。
旅をして、少し日本に帰ってまた出てきて勉強して。
やりたいと思っていたことを本当にしていること、
日々少しずつ幸せを感じていられることが幸せです。

私と時間を過ごしてくださった全ての人に感謝します。
一緒におしゃべりした人たち、メールをくれた人たち、
会ったことがなくても遠くからブログを読んでくれている人たち、
お茶やお酒を飲んで一緒に笑った人たち、
私にたくさんの笑顔を見せてくれた人たち、
できるならみんなにハグしてまわりたいぐらいです。

人がいるということ、好きな人たちがいるということ、
会いたい人がいるということ、理解してくれる人がいるということは、
どれだけ私を心強くしたかわかりません。
ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。
全ての人にとって、来年がさらに明るい1年になることを祈りつつ。


2010年12月27日月曜日

fruta BOMBA



そういえば、キューバではパパイヤをfruta bombaって言うらしいです。
「ほら、あの形が爆弾みたいでしょう?」って。
爆弾フルーツ。


ここ数ヶ月で読んだ本。
『戒厳令下チリ潜入記 ーある映画監督の冒険ー』ガルシア•マルケス
『再生の朝』乃南アサ
『未来いそっぷ』星新一
『デッドエンドの思い出』よしもとばなな
『スイート•リトル•ライズ』江國香織
『永遠のエルザ』ジェイ•アダムソン

日本にいなくても日本語の本はけっこうあるものなのです。
上の本のうち半分は、以前読んだことがある本だったのですけれど。
でも、そのときそのとき本に出会えるってすてきなことだと思うのです。


クリスマスは、焼き鳥パーティでした。
「酒を飲んでつぶれる」っていうことが、初めて分かった27歳。
でも楽しかったです。一緒にお酒を飲める人がいるっていうことの幸せを思います。


2010年12月24日金曜日

クリスマス!


年末っぽく全くないのですが、クリスマスっぽい気分になるため?特別感を出すため?に
ガーベラを買って机の上に置いています。


そうそう、グアテマラに戻ってきました。
ここ最近キューバのことばかり書いていて、「今現在」のことを書いていなかったのですが、
グアテマラに戻ってきました。

1週間と少し前、メキシコのサンクリストバルを出て国境に向かったのですが、
なぜか、「国境閉鎖」。
デモだとか、ストライキだとか、道が封鎖されているから、とか周りの人に言われつつ、
えぇ?????なんでなんでなんで????なんで陸路国境がいきなり閉まるの???
と思いながら、国に入れない難民のようにイミグレーション前で4時間ほど待っていたら
なんとか国境があいて、グアテマラに戻ってこれました。

それから、途中の街で1泊して、バスを乗り継いで、アンティグアに戻ってきました。
学校にも再び行って勉強しているし、自炊生活もしているし、以前ここにいたときのような
落ち着いた生活をしています。

とりあえずクリスマスと年末年始はここで過ごします。
年末年始はお酒を飲みながら過ごそうと思っています。
お酒を飲みながら日々を送れるなんて大人ってすばらしい。

こころあたたかで明るく楽しいクリスマスをお過ごしください。

2010年12月23日木曜日

たかがライターだと言われてしまいそうだけど



キューバで、ライターにガスを入れてもらいました。

私はタバコを吸わないから日本ではライターを必要としていなくて、
これは去年パキスタンで「初めて自分で買った」ライター。確か中国製で、30円ぐらい。
停電のとき、ガスに火をつけて料理するとき、防犯のため(気持ちだけ)、なんだかんだで
旅をしているとライターって必要で、少しづつガスがなくなっていきました。

ライターって、消しゴムみたいに気がつけばなくしてしまうもの、
使い切る前にどこかにいってしまうか壊れるものだと思っていたから、
自分が使ったライターのガスがなくなったことってなんだかちょっとうれしくて、
なんだか少し、捨てるのが惜しかったのです。

キューバの路上でライター屋を見つけたとき、これは!と思って、ガスを入れてもらいました。
約半年よくはいているサンダルの底もはがれかけていたから、キューバの靴屋で直してもらいました。

旅行中は自分の持てる荷物に限界があるから、どれもこれも必要なものばかりで、
捨てられないものばかりで、その上なんだか情が入ってしまうから、「ものを直す」ことが
当然の文化の中にいるととてもほっとするのです。

「直せるものは直す」という生活に、少しずつ傾けていきたいと思っています。

2010年12月21日火曜日

キューバ人と、フィデルと、神様と。


キューバ。
楽しいだけではなかったけれど。
とてつもなく野菜不足になるし、ものはたかられるし、バスチケット1枚とるのもインドのような大変さだったし(私は運が悪かったのだと思う)、いい思いだけをしていたのでは実はなかったのだけど。でも、それはどこに行ったって同じ。





ある日、アイス屋にて2人の子を持つ40代のキューバ人女性と知り合いになりました。
英語を話し、会話の内容や服装から、彼女は経済的な余裕のある人でした。

その日、彼女はカメラが壊れたから電化製品の修理工場に行ったという話でした。
彼女が持っていたのは、ソニーのビデオカメラ、ハンディカム。
「これには叔父の誕生日パーティのとき撮ったビデオが入っているんだけどね、どうしてか動かなくなっちゃって、修理工場に行っても『特別な部品が必要で、でもその部品はキューバでは手に入らない』って言われちゃったの」と。

私がそのとき泊まっていた宿の家族はすごくあたたかくていい人たちで、偶然その彼女と宿の家族が知り合いだということがわかったときに彼女が言ったこと。
「いい家族と知り合えたわよね。神様は私たちをいつだって助けてくれるから。信じているわよね?」
"God always helps us, Do you believe that?"

そのとき、あぁ、そうか、と思ったのです。
結局、いいことがあるって信じて生きていかなくちゃいけないんだな、と。
今いる環境の中で、ちょっとしたことに落ち込んでいる場合ではなくって、
前を向いて生きていかないといけないこと。
神を信じる信じないの話ではなく。

私は日本人で、例えば自分の国では彼女のビデオカメラを直せるだろうこと、でも結局そこはキューバでどうしようもできないこと。そのどうしようもなさがなんだかとてもやるせないと思っていたときに言われ、なんだかはっとしたのでした。



今回キューバに行けて、ほんとうにほんとうによかったと思っています。
キューバは、ものがなくて、あちこちぼろぼろだったけれど美しかったです。
それに、いい出会いがたくさんありました。

なんだか、世界の成り立ちのほんのほんの少しを、体で分かったような気がするのです。
実は何も分かっていないのかもしれないけれど、私の中で理解したような気がするのです。



お知らせ

このブログの右下に、「リンク」を設置しました。
普段私が覗かせてもらっている他の方たちのそれぞれの場所の日常を、
他の方にも、と思ったので。もしよかったらあちこち覗いてみてくださいね。


2010年12月19日日曜日

革命から50年と少し


今まで、いくつかの国でたくさんの人に会って、たくさんの笑顔を見せてもらったけれど。

キューバ人の笑顔はなんだか他のどの国の人々の笑顔とも違っていたような気がします。

太陽の光をさんさんと浴びたような、屈託がない、不安さや裏のない、笑顔だったような気がします。



余計なものがそぎ落とされた人、迷いがない、道がきまった人は格好いいといつも思います。

キューバでは、そんな格好いい人によく会いました。

それは、彼らは選択肢がないことからの格好よさなのかもしれません。道が決まっていることの格好よさ。


私たちは選択肢が多すぎるのかもしれない、と思います。だからいつまでたっても迷っている。

何になってどう生きるかも、お金の稼ぎ方にしても遣い方にしても、ものも情報も、選択肢がたくさんあります。

いいこととか悪いこととかではなくて、ただ、世界が違うのだな、と思います。


キューバの人はものも選択肢もなくて、限られた環境の中で笑顔で生きていて、

それは限られた環境だからこそ、幸せに暮らすことに貪欲なのかもしれない、と思います。

限られた環境だからこそ、ものを大切に使うし、今それぞれがいる世界での幸せを見つけ出そうとしている、というか。






ある日、キューバ中部のトリニダーという街を歩いていたら耳に入ってきた音楽。

それは、"We are the world"のスペイン語版でした。


なんだか、皮肉だなぁと思ってしまいました。

アフリカの子どものために作られた歌だとしても、アメリカ人が「世界はひとつ」と歌って、

そのアメリカの考える「世界」から除外されているキューバ人が、それをスペイン語で聴いているという現実が。

"we are the ones who make a brighter day so let's start giving"




友人のブログで読んだ、フィデル•カストロが言ったこと。

「社会主義の公式なるものは、どう考えても不公正です。 それでも、実際に労働で貢献している人々がほとんど何も入手できないのに、社会で最も怠惰な連中がほとんど全てを奪ってしまう不快極まる資本主義よりは、よほどましです。」




もし、カストロとチェ•ゲバラたちが革命を起こさず、今もまだアメリカが介入していて

キューバが資本主義社会だったとしたら。

人々はこんな笑顔を持っていたのかな、ということを考えます。

きっと、そうではなかったような気がしてならないのです。

歴史に「もし」なんてないのだけれど。でも、それでも考えてしまいます。



2010年12月18日土曜日

普段目にするものの力


普段目にするものって、知らず知らずのうちに人々の心に浸透するような気がします。
キューバで見たものたち。キューバってこんな国なんだ、としみじみ思ったものたちを。


1ペソ(約4円)コイン。
ソフトクリームが1つ食べられます。コーヒーも1杯飲めます。
PATRIA O MUERTE
「祖国か、死か」
(チェ•ゲバラがキューバを去るときにカストロに宛てた手紙の一節だと思うのですが•••)



FIDEL EL PUEBLO ESTÁ CONTIGO
「フィデル、国民はあなたと一緒です」
ハバナの路地にて。



Unidos luchamos, Unidos vencemos.
「1つになって戦えば、1つになって勝つ」
地方のバスターミナルにて。



Morir por la patria es vivir
「祖国のために死ぬことが生きること」
これも、地方のバスターミナルにて。


私たちが普段目にするものは消費社会を促す広告がほとんどで、
キューバはそういった広告よりもこんなことばだらけでした。
なんだか、うまく言えないのですが、とても不思議なところでした。
こんなことばがあちこちにあることが、こういったことを目にしない日がないことが、
とても不思議な日々でした。

2010年12月16日木曜日

I scream HAPPY/ Ice cream HAPPY


キューバのごはんはおいしくないと聞いていました。
「破滅的にまずい」だの、「社会主義的においしくない」だの、「おなかを壊す」だの、
「とにかく食に期待するな」と。(社会主義的な味ってどんなのだろう•••と思うのですが。)
でも、おいしい食事もちゃんとあって、観光客よりも地元の人が行く食堂にも、
おいしいものがちゃんとありました。(外れがなかったとは決して言いません。)

でもそれよりも。おいしかったのはアイスクリーム。
(アイスはごはんではないという意見はとりあえず耳に入れません)


ここはとても人気のアイスクリーム屋さんで、いつも人が並んでいます。
テーブルは4人掛けで、私は1人で行ったのでいつも相席で、同じテーブルを囲んだ人に
毎回同じことを聞かれました。(3回行った、3回とも。)
「アイスクリームはおまえの国にもあるのか。」 ある。
「味はどうなんだ。これと同じか。違うのか。」 ちょっと違うけど、でも私はこれが好き。
そう言うと、そうかそうか、と満足げにうなずきます。
このアイスクリームはキューバの誇りなのだ、とでも言うように。


アイスクリーム、一皿、5CUP(約20円)。



私が食べるのは1皿のみなのですが、ご覧の通りキューバの人はとにかくたくさん頼みます。
後ろのテーブルの、アイスのお皿の山!テーブルいっぱいのアイスのお皿!!
あまりにたくさんのアイスが来るので驚いていたら、同席のおじちゃんは、
「子どもが3人いて、18歳と14歳と10歳で、こんなアイス、家に帰ればみんなで食べて
すぐなくなっちゃうんだ」と言いながら持参の入れ物に入れていました。

老若男女、みんなでアイスを食べて、みんな入れ物に入れてお持ち帰りして。
なんだか、なんだか、キューバっていいな、と素直に思いました。
アイスをみんなが好きっていうその健全さみたいなもの。
こんなにおいしいものがある、っていうそれだけのことの喜び、というか。



それでは、また。
こころあたたかな年末をお過ごしください。


2010年12月13日月曜日

サンクリストバル日記


キューバの話はまだまだ続きますが、今日は、今いるところ、
サンクリストバル•デ•ラス•カサスの日々を。


今泊まっているのは、気のいいアルゼンチン人のやっている宿。
ほとんど常に誰かがギターを弾いていて、誰かが歌っていて、宿の前の公園からも
音楽が流れてきて、そんな中にいてそれだけで少し幸せです。
歌とか音楽を自分でつくり出せるっていいな、って素直に思います。

ドミトリー(相部屋)同室の人たちとの公用語(?)はスペイン語。
ここにいるほとんどの人は、英語の方が楽に使える人ばかりなのに、それでもスペイン語。
みんな苦労しながらもそれでも会話がちゃんとできるし、笑いあえるし。
そんなことがうれしくて仕方ありません。

宿の前には公園があって、土曜の夜は音楽隊が来て演奏して、人々が踊っていました。
市場で野菜を売っていそうな、もしくはパンを売っていそうな、つまりは普通のおばちゃんが
とてつもなく格好よく踊っていて、そういうのを見るとメキシコってすごい、と思います。
そういうものが、メキシコの底力のように思います。(何の底力かはわからないけど)

本日、グアダルーペ(メキシコでよく奉られている聖人、だと思う)のお祭りだということで、
少し離れた村に行きました。
観光客が全く来ないようなところで、地元の人も私たちを奇異な目で見て、
私たちもどうしていいのかわからなかったのが正直なところ。
今日は彼らの祭りの日で、神聖な日で、見られるためにやっているのではなくて、
観光客が立ち入ってはいけないところ、ってやっぱりあります。
私たちが興味本位で見るものではないところ、って確実にあると思います。
それをきちんと考えないと、と思った本日の午前中。

セネガル系フランス人の子と歩いていた本日。
綿菓子の屋台を見つけて、「これフランス語ではなんて言うの?」ときいてみたら、
「バルバパパ」だって。つづりを書いてもらったら、barbe a papaと。
バルバパパって。なんだかいい音だな、と思ったので。

そう言えば今思い出したけれど、グアテマラでポップコーンは「ポポロポス」。
シャボン玉は「ブルブッハ」。擬音語?擬態語?と思ってしまいます。

明日にはグアテマラに戻ります。
さよならメヒコ。またきてタコス。

2010年12月12日日曜日

エスプレッソをひとつ


全く期待していなかったのにおいしかったもの、コーヒー。
人が並んでいるところでは並んで、並ばないところではキューバ人に混じって
人の波に負けじと「コーヒーひとつ」。

「あいよ」とカウンターの中のおじさん(もしくはおばさん、もしくは兄ちゃん)は、
コーヒーの受け皿とスプーンを置いてくれます。


日本でアイスクリームを買ったらついてくるような、プラスチックのスプーンを再利用。
だから周りの人のスプーンは白かったり、透明だったり。
私のはこんなにかわいくて、それだけでなんだか「アタリ」な気分でした。





お砂糖。多少何かが欠けている気もしないでもないが。
地元の人が集うお店のコーヒーは大体、1杯0.35〜1ペソ(2円〜4円)。



「お茶文化」のあるところって好きです。
「お茶文化」はすばらしいです。私はお茶文化のないところは暮らせない、って思うぐらいお茶(もしくはコーヒーを)日常で飲む生活が好きです。


2010年12月10日金曜日

キューバというところ


キューバに行ってみたいと思っていました。

それは、映画「ブエナ•ビスタ•ソシアル•クラブ」を見たときから。
老人たちが実に実に楽しそうに演奏していて、生きていて、こんな人たちがいるキューバってどんな国なのだろう、と思ったから。
老人が隅に押しやられていなくて人として生きている社会は、それだけで私はいい社会だと思います。住むのであればそういうところ、と思います。

それに、「社会主義国」の中に入ってみたかったから。
中国もベトナムももう完全な社会主義国ではなく、資本主義の波の中にあるように見えたから。数十年前はいくつかの国が社会主義だったのに、そして社会主義の利点とかいいところもあったはずなのに、気がつけば世界中のほとんどの国は資本主義社会になってしまったから。
今もまだ、アメリカの影響を受けない国というものを見てみたかったから。

だから、キューバ。
私にとって日本からはあまりに遠かったから、中米にいるうちに行っておこう、と思ったので、行ってきました。








着いてまず思ったことは、いろいろなものが、古い、ということ。
古くて、日本だったら処分されてしまいそうなぐらい古くてぼろぼろなものが、あふれていました。建物も、車も、人々が生活で使うものも、とにかく何でも。政府の建物でさえ。

そして、噂通り、ものが少ない、ということ。
スーパーの棚はがらがらだし、少ない商品をうやうやしくガラスケースに入れているし、市場に行っても野菜も果物も、少ない。(キューバ人はあまり野菜を食べないことも関係しているかもしれませんが。)

キューバでは、ものがない中、人々は何でも直しながら再利用しながら生活していました。
車や建物や服や靴を直すのはもちろんのこと、ライターにガスを入れることまで。買い物に行ったら袋がもらえないのは当然だし、例えばパンを買ってもパン屋さんがくれるのはパンをそのままで、みな自分で袋を持ってきたり、もしくはそのまま受け取って手で食べたり。
ある日私の前を横切った自転車があまりにまぶしかったので見てみたら、反射板の代わりとしてCDが自転車の後ろにつけてありました。

あるものでいかに暮らすのか、自分の周りのものでいかに楽しく暮らしやすく生活するのか。
それは必要性から生まれたことかもしれないけれど、キューバ人はそれが長けているということを思いました。

消費型の資本主義社会と、あるものを工夫して使い続ける社会主義社会。
国として、将来のビジョンがはっきりと見えるのはどちらなのだろう、もしまた世界が大きく変わったときに影響や被害をあまり受けずに過ごせるのはどちらなのだろう、ということを考えてしまいます。

どちらがいいとかどちらが悪いとかでは決してないのですけれど。
それでも考えずにはいられません。


2010年12月9日木曜日

こちらの世界とあちらの世界


こんにちは。
昨日、無事キューバから戻ってきました。
いろいろあって、思うこともたくさんあって、何からどう書いたらいいのかよく分からない中なのですが、それでも少しずつ。

おつきあいいただけると幸いです。

とりあえず。
簡単にどんな国かということを箇条書きに。思いつくまま。
(今までこんなことしたこともないし、しようと思ったこともなかったのですけれど、ある意味キューバは「特殊」な国だし、この後のことを読んでもらうのに少し説明しておいた方がいいかな、と思ったので。以下のことの中に、正しくないことや補足があれば教えてくださると幸いです。)

・社会主義国
・人口に対する医師の数は世界一、国民は医療と教育が無料
・平均月収は日本円にして1000円から1500円ほど
・食料自給率は75%
・主要な貿易相手国はブラジル、ベネズエラ、ベトナム、中国
・主要産業は、観光業と砂糖
・アメリカからの経済封鎖のため、アメリカ企業は入っていない(世界中どこでも、本当にどこでも見るコカコーラの看板がない国なのですよ!)
・通貨は2種類、建前上キューバ人用のペソ(CUP)と、外国人が使うペソ(CUC)
・建前では、キューバ人は外国人と一緒に歩くことは禁止
・とてつもなく簡単に歴史を言うと。(すみません、得意じゃないもので)
コロンブスがアメリカ大陸を見つける→スペインから入植者がやってくる→スペイン領→アメリカ領→フィデル•カストロとチェ•ゲバラたちが立ち上がりアメリカ支配下同然だった政府を倒す→社会主義国
(本当はもっともっと戦争だったり細かい歴史があるのですが、とりあえず大まかにざあっと。)



着いて数日は、私は眠たくて仕方ありませんでした。
キューバ着の日は、夜、宿にたどり着きしっかり眠ったにも関わらず、その翌日昼寝を4時間して、その次の日は2時間、その次は30分。午前中少し動き回って昼食を食べると、とてもとても眠たくなって少し横になったらことんと寝ていて。夜も11時ぐらいには寝て、朝は7時半ぐらいに起きる。そんな日々でした。

自分でも不思議なくらいよく眠ること、今までにも何度かありました。
それがあるのは、自分の周りの世界が大きく変わったとき、自分に入ってくるものが大きくて多いとき、だったような気がします。初めて中国に行ったとき、インドに入ったばかりの数日間、ヨーロッパからタイに飛んだとき。

キューバはそんなところでした。
とにかく世界が確実に違っていて、ほんの1時間外を歩くだけでも入って来るものが大きくて多くて。考えることが多くて。


明日はまじめにもうちょっと書きますね。写真も載せますね。
ほんとうは書きたいことがたーんとあるのです。でもうまくまとまらないのです。

だから。また明日です。おやすみなさい。