2010年5月31日月曜日

フランスより


フランスから、小包が届きました。
帰国してすぐ、旅先で知り合ったアイルランド人とフランス人の友人と、彼女のおばさんが私の家に来てくれました。友人たちはまだ旅の中なのですが、フランスに戻ったおばさんが、こんなものを送ってくれました。

箱をあけると、テーブルクロスに加えてビスケット、ガレット、マドレーヌ、タルト!!!!!母と二人、きゃあきゃあうわぁと大騒ぎです。

お菓子屋さんの「きれいな」お菓子ではない、スーパーで気軽に買ってみんなで気軽にお茶を飲みながら食べるだろうお菓子を、箱にこんなにたくさん詰めて、わざわざ日本まで送ってもらったことがステキすぎる!と思ったのです。そんな気軽で楽しいお茶の時間を届けてもらったような気がするのです。

この感覚って、ヨーロッパの人のものだなぁということを、思います。
なんてすてきな贈り物をしてくれるのだろう!と思ったのでした。


2010年5月29日土曜日

洗濯日和

洗濯日和です。
数日前まで雨とか曇り、昨日と一昨日は太陽が出ても飛ばされてしまいそうに風が強く、やっと、今日、洗濯日和。洗濯をしないで何をするのだろう、というほどの洗濯日和。

洗濯機にえいやっと詰め込んで、洗剤を入れて、ぐるぐると。旅行中は毎日手で服を洗っていましたが、今は洗濯機。どちらも、楽しくて仕方ありません。太陽の下に干すと幸せな気分です。洗濯大好き。明日を作っている気持ちになるから。石鹸と太陽の匂いがする服を着ているだけで、いいことがありそうな気がするから。

洗濯物のある風景というのも好き。
一体何人の子どもがいるのだろう、と思わず考えてしまうベランダ。レバノンのトリポリという街にて。


永井宏さんの『モンフィーユ』という本の中に書いてあること。

心地好く晴れた日に洗濯をする。大雨の日にも洗濯をする。汚れたものを洗うんじゃなくて、いろんなものを洗濯機の中に押し込めて、水を張り、洗剤を入れ、ぐるぐる回して掻き混ぜて、自分の気持ちもいつもきれいにしておきたいんだ。

洗濯をする自由っていうのは旅する自由っていうのに似ている。そんな言葉を思いついたけど、どこかヘンかな。でも、どちらもそこに爽快な気分っていうのがあって、同時にひとりじっと何かを見つめたり、待っていたり、期待する気持ちもある。いつでも全てを洗い流せるということと、どこにでも好きなところに行って自分を白紙にしてみるということ。自由だということを自分の中に言い聞かせることがけっこう大切なことでもあるんだ。 



明日も晴れますように。
明日も洗濯日和となりますように。

2010年5月27日木曜日

夏近し

知らず知らずのうちに、確実に、夏が近づいてきているようです。

日がぐんぐん長くなって、夜7時でもまだ明るくて、もうすぐ夏至だな、と思いながら過ごしています。夏至が終わったらまたどんどん日が短くなっていってしまう。夏本番はそれからなのに、日が短くなるのはほんの少しさみしいです。

日本の季節を思いながら日々を過ごすのって久々な気がします。去年は旅行中だったし、その前は忙しくて気がついたら夏だった。そして気がついたら秋で、あっという間に一年が終わっていた、そんな日々でした。

蚊が増えたことに気づき、日差しが強くなったことから日焼けの心配をするようになり、スーパーに夏野菜が増えていく、そんな少しずつのことから季節を感じられることって幸せです。

「風月のいちごミルクのかきごおり」が、私たち(中学の同級生たち)の夏の合い言葉です。
そのぐらいおいしいのです。


抹茶のソフトクリームも日本にいるうちに食べなきゃなぁ。

2010年5月26日水曜日

手を出さずにはいられない。


母は言います。
「あなたが帰ってくると、けったいな食品が増える」と。

タイのナンプラーに、マサラミックスに、各国の変わったお茶に、唐辛子の油漬けに。スーパーマーケットが大好きなので、使えそうで、なおかつ怪しいものに手を出さずにはいられません。(それわかる!っていうひと、けっこういますよね?)

こちらは、ベイクドビーンズに(とてつもなく缶が大きい)、パキスタンのチキンコルマのもと(つまりはスパイスのミックスなんだけど。こちらは何度か使ったので開封済み)、おじさんに惚れてつい買ってしまったサルサ(おじさん、すてきですよね?惚れるのもわかりますよね???)。


正直言うと、作り方がわからないもの使い方がわからないものが大半です。このチキンコルマの素なんて、作り方はウルドゥ語でしか書いていない。

だから、料理は実験です。本当に、毎日実験。もちろん、成功する日も、家族みんなが首をかしげる日もあるのですが。

きっとこれからも、私は行く先々のスーパーで、使い方が分からなくても調味料とか食品なんかに手を出さずにはいられないのだろう、と思います。

2010年5月25日火曜日

キューバに行きたい

今、猛烈にキューバに行きたくなっています。

そのきっかけは、映画「ブエナ ビスタ ソシアル クラブ」を最近やっと見たから。キューバで音楽をやってきた人々の、ドキュメンタリーの映画です。
なんて楽しそうにみんな音楽をするのだろう!と思って。80歳90歳になってもなんてみんな生き生きとしているのだろう!と思って。生きること歌うことを体中で謳歌している人たちがいて、あんな人たちがいるキューバって一体どんな国なのだ?と思い、キューバに行きたい気持ちがむくむくしています。

これを人に言うと笑われるけれど。
私にはラテンの血が流れているのではないか、と半ば本気で高校生のとき思ったことがあります。ラテンの音楽をきくと血が騒ぐから。それを確かめに、やっぱりキューバに行かなくちゃ、と思っています。

チェ ゲバラとカストロの国。
世界に数少ない社会主義国。
革命の起こった、国。
フィデル カストロが生きているうちに、キューバに行きたい。

2010年5月24日月曜日

最近会った、周りの人のこと

帰国して会った、周りの人のこと。

この春転職して高校の教師をやっている同級生の話。
「働くって少しずついやなこととかつらいこととかあるはずやけど、でも今全くなくて、こんなに楽しくていいのかと思う。」
彼女にとってはそれが天職なのかもしれません。それぞれそんな気持ちになれる仕事に就いて、みんながそんな気持ちで働けたら、世の中はもっと明るくなるのに、と思います。

パキスタンで会った人に東京で会いました。
アフガニスタン、カブールの日本大使館で「どこでもいいから早く出て行ってください」と怒られたり(そういえば別の友人も同じことを同じ場所で言われていた)、トルコでお金がなくなって公園で寝ていたらクルド人に泊めてもらって、小学校で英語を教えて給食を食べさせてもらったり(クルド人は確かにみな親切)、男の子しかできない無茶というのがあって、そういうのってなんだか少しうらやましいです。私は公園で1人眠るなんて怖くてできないなぁ、と。

昔お世話になっていた職場の上司。私を見てまず言ったことは、「ぷくぷくになったね。」働くとはどういうことか分かっていなかったあのときの私は(今でもよくわかっていないけれど)たくさん迷惑をかけました。たくさん笑ったしたくさん泣いたしたくさん怒ったし。昔のことを思い出して思わず泣きそうになっていると、「泣き虫なのは、変わってないね」と。楽しかったこともつらかったことも、たくさんの思い出がつまっている、昔の職場。

「知りすぎないことは、いいことだよ」と言った友人。確かにそうかもしれません。

「人とけんかするってことは、その人に自分のことを知ってもらいたいからでしょう?」って。あまり人とけんかはしないけれど、確かに、今までけんかしてきた人は、今でもどこか特別な人ばかり。

ブログ読んでいます、と言ってもらえるのはうれしいのですが、私の旅の様子をここで知っているからか、あまり「どうだった?」と聞いてもらえません。それはちょっと寂しいです。でも、読んでますって言ってもらえるのはうれしいので、私に会ったら言ってください。読んでますって。

たった1年しか離れていなかったから当然かもしれませんが、周りの人はあまり変わっていなくて、それになんだかほっとします。

2010年5月23日日曜日

スーパーマーケットにて

スーパーマーケットに食料品の買い物に行き、驚きました。

木綿豆腐一丁 38円
もやし一袋 18円
ゆでうどん一人前 18円

!!!!!??????
日本の物価ってどうなっているのだ!?と。少なくとも、1年前、私が旅行に出る前はこんなに安くなかったはずです。

ここは私が以前からよく行っていたスーパーで、少し前に大型ショッピングセンターが目の前にできたので、客足が遠のかないよう値をどんどん下げているのかもしれないのですが。コストダウンを追求していけば、このぐらい値段を下げることもできるのかもしれませんが、それでも、一時間の労働で10ドルほどの収入を得られるこの国で、この値段は一体どうなっているのだ•••と思ってしまいます。思わずくらくらしてしまいました。

買い物をする側として、値段が下がることはうれしいことでは当然あるのですが、でも、払うべきものには払わなければいけない、と思っています。それだけ安くしたシワはどこに寄るのだろう、と考えてしまいます。生産者の生活にしわが寄ってはいけないし、安全でないものになっても困るし。利益が出なくてスーパーが倒産してしまっても困るし(私はそのスーパーが好きだったから)。

ものには適正な値段があるはずです。作る人がいて、流通経路があって、売る人がいて、買う人がいる。適正な値段でものを売買しないと、だれかの首をしめることになるような気がしてなりません。だれかの首をしめて、結局自分自身の首をしめてしまうような。

買い物は、自分が何を支持するのかということを表に出す場だと思っています。どこで、何を買うかによって、大げさかもしれないけれど、意思表示をする場だと思っています。消費者が集まって困ることには困ると言ったら、国を動かせるほどのパワーになると私は信じています。

最近、お買い物をしながら考えたこと。


2010年5月22日土曜日

どうしようもないこと


最近ぱらぱら読んでいた本に、印象的なことが書いてありました。



会いたいっていうことは、何かが欲しいっていうことだ。その人に会いたいっていうことは、その人からもらいたいものがあるっていうことだ。そのことはやはり、自覚するべきだと思う。


よく、友だちや周りのみんなが心配して忠告してくれるにもかかわらず、どうしても離れられずにみんなの反対を押し切ってつきあったり結婚したりする男や女がいるが、あれは、そうさせるしかないと思う。というのは、その人にとっては、それは学ばなきゃいけない重要課題だと思うから。もし無理にひきはなしたら、その欠落した部分を学ぶ機会を失ってしまう。


•••人がどんなに馬鹿なことをしようとしても、その人がどうしてもどうしてもそれをやりたいというなら、周りじゅうがどんなにそれを、明らかに失敗や苦労すると100人中100人言っても、させるしかないものってあると思うし、そうしなきゃいけない理由は、その人の中にしかないと思う。


『決めないことに決めた』(一部省略) 銀色夏生



なるほど、と思ったので。

そうするしかないこと、っていうことがあって、迷っていてもそうするしかないなら、やっぱりそうするしかないかもしれません。(へんてこな文章ですが)


好きになってしまったら、どうしようもないです。人もものごとも、好きになったらどうしようもありません。たとえ失敗しても、その「好き」がたくさんあるアツい人生を送っていたいと思うのです。

2010年5月21日金曜日

フィルムカメラ


フィルムカメラを買いました。

もっと、1枚1枚の写真を真剣に撮ってみたいと思ったから。デジタルだと、消せばいいか、って気持ちになってしまうから。被写体ときちんと向き合いたいと思ったから、フィルムカメラ。

こんなに写真を撮ることがおもしろいと思うなんて昔は考えもしませんでした。何が起こるか、どう変わるかわからないものです。歳を重ねるってわからないことだらけです。

2010年5月20日木曜日

本棚を

本棚を、このブログのすみっこに置いてみました。右側、ラベルの下です。(本棚と言っても、ネット上の本屋さんbossa booksとつながっていて、そこから引っ張ってきたのですが。)

人の本棚を見ることが好きです。どんな本を読んでいるかでその人のことが少し分かるような気がするし、共通の好きな本があると、見えない何かでつながっているように感じてしまいます。電車の中で自分が好きな本を読んでいる人を見つけるだけで心がつながっている気分です。

本屋をやりたい、と昔本気で考えたことがあります。何でも売っている大きな本屋ではなくて、私の好きな本広めたい本しか置かない、小さな本屋を。だいぶ偏った店構えになるでしょうが(きっとビジネス書とか自己啓発本なんて1冊も置かないだろうし。あまり得意じゃないから)、それでも同じ本を好きな人たちが集まってきて、話が広がって、人の輪も広がって、本のバラエティも増えていけばいいな、などと思っていました。きっとそうやって輪とか世界って広がっていくと信じているのです。

これを書きながら思ったこと。
本屋だけじゃ採算を取るのは難しいだろうし、チャイ屋をやりながらの本屋っていいかもしれない、と。
夢は広がります。

本棚を置いたのは、こんな本が好きだ、というのを人に知ってもらうため。人と本の話をすることが好きだから。
好きな本、教えてください。本の話を、しましょう。

2010年5月17日月曜日

能登へ

帰国してしようと思っていたことはたくさんあり、その中で優先順位が高いことの1つに「能登に行くこと」がありました。石川県、能登半島のさきっちょにじいちゃんばあちゃんが住んでいます。毎年家族は盆と正月に行っていたのですが、私は社会人だった4年間、盆も正月も仕事だったので(お盆休みは少しあったけど)、全く訪れておらず、帰ったらじいちゃんばあちゃんの顔見に行かなくちゃ!とずっと思っていたのです。


車の運転なんて旅行中の1年全くしなかったのですが、車がないと不便で仕方がないのでレンタカーです。私の周りの人は私の運転を信頼しませんがきちんと運転できます。えへん。



日本に帰ってきてまず思ったことが、家々はそれぞれ好き勝手な方向を向いて好き勝手に建てられていて、景観に対してあまり気を遣っていないのではないか、ということでした。合理性とか効率を考えて街が作られていて(それは日本人が望んできたことの結果ですが)、美しさみたいなものが、あまり、ない、ということでした。

それが、能登は、美しかったのです。今まで何度も行っていたのですが、そんなこと思いもしなかったのに。古い家々ってこんなに美しい形をしていて、山の色ってあんなにすてきなのだ、と。日本って美しい、ということが改めて分かったような気がします。この土地は、美しさや景観を考えられて現状があるのかと言ったらそうでは決してなく、過疎が進んで若者は街を離れ、じいさんばあさんが古い家に古いまま住み続けているから残っているだけで、古い家々は暮らしやすいかと言ったらそうではありません(私は1日にきっと50匹以上のカメムシを見ました)。

美しいからこのまま残してほしい、というのはそこに住んでいない人間の無責任な意見だということをわかってはいるのですが、それでもこのまま残ってほしい、と思ってしまいます。


金沢からは電車で帰ってきました。
時間があったので金沢をぶらぶら美術館まで歩いてきました。お寺発見です。



金沢の21世紀美術館です。残念ながらこの日は休館日でした。
このときは、ヤンファーブル×舟越桂の展覧会でした。まだまだ続くようです。
相変わらず、背すじのぴんとする建物です。光の入り方も好きです。


数年前、この美術館に行ったときの展覧会は「人間は自由なんだから」というものでした。
このタイトル、力強い言葉だと思います。

人間は自由なんだから、です。


バンコクのニュースを見るたび胸がぎゅっとなります。中心部で占拠する人たちの疲れた顔やそこにいる子どもたち、バンコクに住む知人や、よく行っていたコーヒー屋さんのおばちゃんの顔を思い出すたびに。
早く争いごとが終わってそれぞれの平和で穏やかな生活が戻ってくるように、と願ってやみません。

2010年5月9日日曜日

そういえば日本って。

帰国して約2週間経ちました。

小さな買い物に1万円札で払ってもおつりは1円単位まできちんと返ってくるし(おつりがアメ玉とか、ないですものね)、喫茶店で少し席を立つとき、かばんやカメラを置きっぱなしにしても誰も盗まずそこにそのままある。ごみは道に(あまり)落ちていないし、クラクションもほとんど鳴らない。電車に乗ると、「次の停車駅は」から「お客様にお願いします」まで、延々と続くアナウンス。そういえば日本ってこんな国だった・・・と思いながら日々過ごしています。

友人に会うとみんなきちんとお化粧して、きちんときれいな格好して、白い肌で、話していて必ず話題に上るのが結婚のこと。同級生の誰かが結婚したとか、コンカツだとか、結婚どうしよう、とか。色気なんて全くなかった友人が花柄スカートをはいてコンパの話。27歳ですものね。世間一般の27歳はこんな感じなのか、と思った最近。そういえば私も27歳。
私の周りの女の子たちはみんな結婚が遅そうです。類は友を呼ぶ。

日本は灰色だよ、とかストレス社会だよ、とかみんな疲れているよ、とか。暗い話題を耳にして帰ってきたのですが、私の周りの女の子たちはみんな元気で、それはなんだかほっとします。

住民票を入れて、携帯電話の契約をして、お化粧をして。
少しずつ社会復帰している気分です。

2010年5月7日金曜日

フィルムには湿度がうつる? 2

前回の続きの、タイのメコン川沿いの小さな村より。








以前見た美術館の展覧会で、印象深かった文章がありました。それは2枚の都市風景の写真を並べた横にあった文章でした。そのときの私にあまりに印象的だったので、(了承を得て)急いで文章を持っていた紙に書きました。

誰もいなくなった近代都市の映像を初めて見たのは東ドイツのカメラクルーが隠し撮りしたポルポト政権時代のカンボジアの首都プノンペンの映像だった気がします。人の住んでいない都市は、人間の死体のように見えました。そこには都市の意志のようなものがありませんでした。そういう意味で都市の意志というのはそこにいる人がつくりだすものだとその時気付きました。都市の意志というのがそこにいる人の意志を反映したものであるならば、都市にいるあなたの意志はそのまま都市の意志として反映されます。たとえば日本の写真に写っているほとんどの建物がビジネスのために存在しています。それは戦争で荒れ地になったあと経済活動に特化した都市を作ろうという人の意志があったからです。

・・・(中略)・・・

日本の都市は何か手に入らないものを手に入れる場所なので、何でも手に入れられる気になります。でもそれは幻想です。オランダの都市は、昔から変わらない街並みの中にいると、変わらない日常が続く気になります。でもそれも幻想です。どちらも幻想ですが、みんながその幻想を見ているので、実感としてその幻想に気づきません。日本人の中にいると自分を日本人だと気づかないように、人はどこかに移り住むとはじめてそれが幻想であったことに気づきます。

・・・(中略)・・・

よく知っている場を知らない場として、よく知らない場を生まれた場のように、よく見てよく聞けばなにが幻想かを感じることができます。そしてなにか感じたら、きっとなにかが分かります。なにかが分かるということはあなたの中のなにかが変わるということです。いつもと同じ場所に立って見ても、そこからは何も見えません。

小野博  あそこからでは何も見えない


旅行中、何度も読み返した文章です。
いつもと同じ場所に立って見ても、そこからは何も見えません。

2010年5月2日日曜日

フィルムには湿度がうつる 1

フィルムで写真を撮ると湿度がうつる、ということを教えてもらったのですが、湿度、うつっているのでしょうか。
(湿度と何かもう一つ、うつるものがあると教えてもらったのですがもう一つを忘れてしまいました。ごめんなさい。)


タイのメコン川沿いの小さな町に行ってきました。


非常にのどかなところで、私はそこに着いていっぺんにその町が好きになりました。
着いた途端、何見てなくても何も起こってなくても、バスを降りた瞬間で好きになる土地ってやっぱりあります。



かわいい植物。何という名前だろう。


フィルムカメラを使ってみたい、と思ったきっかけは、今回の旅の始めにタイでお会いしたbarramedaさんです。

この人の撮る写真が好きだな、と思うひとが何人かいますが、barramedaさんはその1人です。barramedaさんの写真の中の空気とか、そのうしろにある物語みたいなもの、視線の先にあるものが、好きです。

いろいろな人の写真を見て思うことは、写真には人柄が出る、ということ。昔はそんなことを感じなかったし思わなかったけれど、写真はただ思い出を残すものだと思っていたけれど、でもそれ以上のものがあるのだな、と。同じところにいて同じものを見ていても、写真が全く違ってくるのは、おもしろいです。それぞれの写真には、それぞれの視線の先にあるものが写っています。

写真を撮ることは好きですが、人の写真を見ることも、とても好きです。

「フィルムには湿度がうつる」、つづく。


2010年5月1日土曜日

ちょっとだけビエンチャン

タイの東北部まで行った勢いで、ほんのちょっと、ラオスのビエンチャンまで足をのばしてきました。(何といってもラオスはいいところなのです)





行くたびに思うのですが、ラオスは、色の美しいところだと感じます。
(うまく写真では伝わってないかもしれないけど!)
おみやげ屋さんを見ていても、布や織物のセンスがいいのです。本当です。


一番の目的は何かと言えば、コーヒーを飲みに行くこと。
おいしいコーヒー屋さんがあるからぜひ行っておいで、と言われたもので、コーヒーを飲みに行きました。




どんな食べ物より、どんな飲み物より、作る人(淹れる人)の気持ちとか状態みたいなものが一番出るのが、コーヒーなような気がします。


6年前、初めてラオスに行ったときは、車も少なく建物も少なく、信号なんて1つも無くて(首都でさえ!)どこもいつでも歩行者天国だったのに、今はそうはいきません。車もバイクも信号も、増えています。10ヶ月前にも行ったのですが、ほんの1年未満でさえ、おしゃれなカフェが増えてお買い物するところが増えていました。
カオサンとかタメル(カトマンズのバックパッカーストリート)みたいになる日も近いのかもしれないな、と少し思いました。ちょっと寂しいのですけど、そうなるのもツーリストが増えているからだし、結局私もそれを助長しているツーリストの1人です。ツーリストが増えて外貨が入ることで生活が豊かになる人もいるだろうし、以前のままであってほしい、というのは、そこに住んでいないただの旅行者の、責任のない発言かもしれません。それでも、カオサンみたいになっちゃいやだな、と思うのですけれど、私。